歴史は「物語の文化」と「契約の文化」との葛藤(上)
メソポタミアの記録
一方、チグリス・ユーフラテス川が生んだメソポタミア文明。前にも述べたがロンドンの大英博物館にある「アッシュールバニパル王のライオン狩り」(アッシリア)のレリーフは、馬と戦車と兵士とライオンの躍動感が生々しく伝わってくる。またアケメネス朝ペルシャの首都ペルセポリスに残るレリーフは、周辺国からの朝貢、つまり多民族の征服と支配の記録である。エジプトとは違って、メソポタミアは、シュメール、アッカド、ヒッタイト、アッシリア、ミタンニ、バビロニア、エラム、メディア、ペルシャなど、多くの民族と国家の興亡の歴史であった。 しかしシュメールから始まった楔形文字は民族を超えて受け継がれた。そこに残されているのは、ごく初期のトークンと呼ばれる粘土片、ハムラビ法典のような石碑、取引や徴税を記録した粘土板などが多い。いわば政治的経済的な「契約的な記録」である。 これまでの研究で、文字と建築様式(特に宗教様式)の分布には強い相関関係があることが分かっているので、僕は文字の媒体とその内容にも興味があった。文字の媒体として使われたのは、西洋では主として建築、粘土板など、東洋では主として木(木簡、竹簡)と紙であったが、文字が伝える内容に関しても、エジプト文明は「物語的」、メソポタミア文明は「契約的」という違いがあったのだ。 この二つの文明は、黄河文明やインダス文明よりもかなり早く、しかも古代地中海から今日の世界にまでつながる人類の文明発展のメインストリームの淵源である。隣接しながらも(多少の交流はあったようだ)、それぞれ独立した文明として異なる性格の文化を形成したのは実に興味深いことだ。 人類にはこの「物語の文化」と「契約の文化」という二つの原型が存在するように思える。そしてその後の歴史においても、この二つの文化の葛藤が現れ、さらに人間という生き物には「物語的な脳」と「契約的な脳」という二つの類型が設定できるように思えるのだ。