歴史は「物語の文化」と「契約の文化」との葛藤(上)
キリスト教という物語へ
しかし古代ローマが民主的な社会というわけではなかった。大浴場や闘技場に見るように、ローマ市民の生活はきわめて贅沢なものとなっていったが、それは広大な属州からの物資と奴隷労働によって支えられていた。僕は『ローマと長安』(講談社現代新書)という本を書いていて、この現実主義に徹したようなローマ社会に、キリスト教が広がったのはなぜだろうと考えざるを得なかった。簡単には答えが出ない。そして「物語の文化」と「契約の文化」という論理がそのヒントになるような気がするのだ。 帝政期のローマは平和が続いたが、もともとあいつぐ征服によって拡大した社会であり、それは皇帝、貴族、市民、奴隷といった身分差別を前提にした壮大な収奪の社会システムであった。近代のナポレオン法に至るまでヨーロッパの基本的な法典となったローマ法に支配された、いわば容赦ない契約の社会であった。人々の心はその苛烈な社会システムに耐えられなかったのではないか。 人間は、どんなに豊かで享楽的な生活を送っていても、契約だけの無味乾燥には耐えられないのだ。人々は心を潤す救いの「物語」を求めた。しかもそれは社会の下層だけでなく上層の欲求でもあった。キリスト教の「原罪と贖罪」の概念がそれに適合したのである。 ユダヤ人という定住すべき土地をもたない小さな虐げられた民族から生まれた物語が、大帝国の国教としての物語となったのだ。「契約の文化」に対する「物語の文化」の復権である。人類の文明は、必ずしも合理的な方向にのみ進むものではない。 そして7、8世紀は世界宗教(歴史学者A・J・トインビーの言葉)の時代となる。日本に仏教が広がり、ゲルマン民族移動後のヨーロッパにキリスト教が広がり、地中海世界にはイスラム教が広がる。中世とはある意味で「物語文化の時代」なのだ。
物語的な企業と契約的な企業
さて現代の、国家間にも、個人間にも、そして企業間にさえ、二つの文化(脳)の葛藤が感じられる。契約的な国家と物語的な国家が戦い、契約的な人間と物語的な人間が葛藤し、契約的な企業と物語的な企業が競争する。 たとえば大企業はその下請けに対して、あくまで契約を基本にした冷徹な関係を強いようとする。下請け企業はその親会社に、昔からのつきあいによる温情という「物語」を要求する。 一般にその時代をリードし、より強大な、国家、個人、企業の文化(脳)は契約的になりがちであり、時代にとり残され、より弱小な、国家、個人、企業の文化(脳)は物語的になりがちである。しかしそれは表面的な部分に過ぎない。人間の文化戦争の深部においては必ずしも、前者(契約)が後者(物語)より強いわけではない。短期的には契約の文化(脳)が支配するように見えても、長期的には物語の文化(脳)が力を発揮することも多いのだ。 契約脳が、物語を馬鹿にすると干からびる。 物語脳が、契約を軽視すると裏切られる。