“お茶の間”楽しませた昭和生まれのクイズ番組
大橋巨泉の司会で民放きっての人気番組に「クイズダービー」
1976(昭和51)年には大橋巨泉が司会の「クイズダービー」(TBS系)がスタートした。“ダービー”とタイトルにあるように、出場者が解答者の中からクイズに正解するだろうと予想する人物を選び「はらたいらさんに500点!」などと持ち点をかけて得点を増やす競馬方式が特徴。解答者には問題ごと倍率がつけられた。1979年には関東地区で40%を超える視聴率を記録するなど民放きっての人気クイズ番組となった。時代が平成に移り変わって1990(平成2)年には2代目司会に徳光和夫が就任し92(平成4)年まで続いた。 巨泉の司会では同局系の「世界まるごとHOWマッチ」も1983(昭和58)年から1990(平成2)年まで放送され人気番組となっている。
超ド級の大型番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」
1977(昭和52)年には派手な存在感を放つ大型クイズ番組が登場した。「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本テレビ系)だ。視聴者参加型のクイズ番組だが、日本一のクイズ王を決めようと全国各地から挑戦者を集め、アメリカ大陸を横断しながらクイズに挑戦。敗者はその場に置いていかれ、最終決戦は勝ち残った2人がニューヨークで雌雄を決するというもの。クイズには体力を要するものや運が左右するものも準備され、エンターテインメント性を高めた演出で話題を呼んだ。 莫大な制作費をかけてアメリカを横断し日本一のクイズ王を決めるというダイナミックな企画はクイズ番組史上のエポックだろう。毎年、複数の週をまたいで放送された。1998(平成10)年に単発で復活したことがあったが、その後は作られていない。
関口宏が所狭しとスタジオを歩く「クイズ100人に聞きました」
司会者席に座って司会をするスタイルが定番だったなか、関口宏がタイピンマイクをつけてスタジオをまわるアクティブで新しいスタイルの司会ぶりが目をひいたのが1979(昭和54)年スタートの「クイズ100人に聞きました」(TBS系)。一般人100人へのアンケートを設問に、その結果を推測して答えるというもの。関口の司会と相まって通称「屋根裏のアナウンサー」こと橋本テツヤのナレーションによる番組進行も新しかった。同番組も1992(平成4)年まで放送され親しまれた。