視聴率低迷の紅白歌合戦 どう生き残るのか
2021年大みそか放送のNHK紅白歌合戦の視聴率が低迷している。80年代の昔から紅白の視聴率低迷は何かと話題にのぼるようになったが時代の流れには抗えないということか。
黎明期の紅白 最初はラジオ番組として産声
紅白歌合戦が始まったのは1951(昭和26)年。第二次世界大戦の終結から約6年後ということになる。ただしこの時はテレビジョン放送ではなくお正月のラジオ番組だった。テレビ番組としてのスタートは1953(昭和28)年の第4回からで、放送日も大みそかとなった。会場は日劇(日本劇場)だった。 その後、紅白は国民的番組として着々と回を重ねていく。1954(昭和29)年の第5回には美空ひばりや春日八郎が初出場。美空はやはり初出場の雪村いづみ、2度目の出場の江利チエミとの三人娘が話題となった。翌1955(昭和30)年の大みそかには民放(ラジオ東京テレビ=TBSの前身)が負けじと同時間帯に男性軍・女性軍の男女対抗形式とした歌番組「オールスター歌合戦」を生放送するなど、テレビの世界自体がどんどん盛り上がっていく。1956(昭和31)年には紅白の出場歌手が50組となり、最初の黄金時代が到来した。
レコード大賞と共存共栄 テレビ黄金時代の紅白
1960年代から70年代にかけては高度成長の勢いとシンクロするようにテレビが一家に一台普及していきカラー放送もスタート、テレビ番組が完全に芸能の主役にのぼりつめた。大みそかの紅白も、まさに一年間の歌謡界の総決算といえる大イベントとして定着した。この時代に少年期を過ごした筆者も学校が冬休みになり大みそかの一家団欒のメインイベントとしての紅白の存在の大きさを体感してきた一人だが、この時代は今ほど娯楽に多様性もなく老若男女を問わずその年のヒット曲を共通して知っていた。子どもはじめ若い世代が応援するアイドル歌手、親や親以上の世代が応援するベテラン歌手や演歌歌手、そして誰もが知るその年のヒット曲が紅白を構成していた。だからこそ出場歌手がそれぞれのその年の持ち歌を歌う“歌合戦”が盛り上がったのだろう。 そして日本の芸能界、歌謡曲といえば、もう一つ落とせないのが1959年に始まった日本レコード大賞だ。最初のうちはそれほど注目を受けなかったが、70年代に入ると紅白と並ぶ大みそかの国民的番組となった。いわば共存共栄の関係にあり、レコード大賞に出演した歌手が番組終了後に大急ぎで紅白の会場へ向かう様は年末の風物詩だった。