消えた英国人探検家、アマゾンの「失われた都市Z」を探し求めたフォーセットの末路
冒険家たちが古代都市の廃墟を見つけたと書かれた謎の「手稿512」に魅了、インディ・ジョーンズのモデルとも
1540年代、初めて南米のアマゾン盆地に分け入ったスペイン人は、素晴らしい富がある失われた都市に関する先住民の言い伝えを記録し、それをエルドラド(黄金郷)と呼んだ。その後、アマゾンの熱帯雨林で失われた文明を探すむなしい試みが、数世紀にわたって繰り返された。 ギャラリー:「手稿512」の写真も、アマゾンに消えた英国人探検家 写真4点 そんな試みのうちで、最後の注目に値する探検行は、英国の探検家パーシー・フォーセットによるものだ。フォーセットは1906年から1924年にかけてアマゾン盆地を7回探検した後、彼が「失われた都市Z」と呼んだ都市を目指した探検で消息を絶った。フォーセットは広範な史料を読んで探検の着想を得たが、その一つが「手稿512」として知られる謎に満ちた文書だ。 並外れた精神力と体力を持つフォーセットが活動したのは、ヨーロッパ人が古代都市や財宝を求めてジャングルや水路を探検しようとしていた時期だ。ヨーロッパ人によるアマゾン地域についての記録は当時ほとんど存在しなかった。1925年にブラジルのマットグロッソ州で「Z」を探索するさなかにフォーセットが消息を絶ったことは、今なお作家や映画制作者の想像力をかき立てている。
南米で一変した人生、10年近くアマゾン盆地を探検
パーシー・ハリソン・フォーセットはイングランドのデボン州トーキーで1867年に生まれた。フランシス・ドレークやウォルター・ローリーら、多くの探検家や航海者が輩出した土地だ。 財産を失った貴族の息子だったフォーセットは、愛情に飢えた子供時代を過ごしたと回想している。19歳で英国陸軍砲兵隊の中尉となり、大英帝国の前哨地に送られた。 1901年、フォーセットはロンドンの王立地理学協会に加入。軍事情報を収集する英政府の測量技師としてアフリカに赴いた。1906年、王立地理学協会よりアマゾン探検のリーダーに任命された。 南米に来てフォーセットの人生は一変した。ボリビアとブラジルの広大な国境地帯の地図を作るため、フォーセットはボリビアのラパスを出発した。 先住民たちは、自動車や列車の製造に使う天然ゴムを得るために彼らの土地に押し入ってきた「ラバー・バロン」と呼ばれる悪徳資本家への怒りに燃えていた。フォーセットも、先住民たちからしばしば敵と見なされた。 フォーセットは10年近くにわたってアマゾン盆地を探検し、ヨーロッパ人として初めて記録した滝などの各地の地理的特徴も多かった。残された文章からは、彼が感じた畏敬の念が伝わってくる。 「われわれの頭上にリカルド・フランコ丘陵があった。頂上部は平らで神秘的。側面には深いケブラーダ(渓谷)が刻まれている。失われた世界のようだ。頂上部まで森林に覆われ、太古に失われた光景をまざまざと想像させる」 第一次世界大戦の勃発によりこの探検の時代は終わり、フォーセットはヨーロッパに戻ることを余儀なくされた。彼は50代だったが身体は最高の状態にあり、従軍して優れた軍人であることを証明した。