選挙を機に振り返る「政党と派閥の精神史」
自由民権と尊皇攘夷
さらにさかのぼってみれば、日本の政党と思想結社の源流が明治期の自由民権運動にあることが分かる。 自由民権というといかにも進歩的なようだが、板垣退助の愛国社、頭山満の玄洋社など、民権運動のほとんどは尊皇主義を掲げており「君主と人民の一致」が唱えられていた。ルソーの紹介者で民権運動の代表的存在であった中江兆民も、黒龍会(玄洋社の大陸組織)の賛助員となっていて、彼の書いた『三酔人経綸問答』(岩波文庫)は名著であるが、内容は西洋好きの自由主義者と伝統的な国粋主義者のバランスをとる構成だ。 日本各地で結社が誕生し、薩長閥を中心とする中央集権に対する地方の反発という印象もある。西南戦争に至るまでの不平士族の反乱(なぜか維新に一定の役割を果たした西南雄藩地域が多かった)を継承することも明らかであろう。 もっとさかのぼれば、幕末の尊皇攘夷運動が淵源である。 黒船来航によって、突然のように日本人の意識に上った「西洋(西欧とアメリカとロシア)と資本主義文明」に対する「日本国と大和魂」という意識は、尊皇攘夷という強烈なナショナリズムの精神エネルギーを巻き起こし、江戸幕府に対する地方(特に西南雄藩)の力となって倒幕が実現した。そのエネルギーが、維新後の「文明開化」という真逆の政府方針に直面して、不平士族の反乱となり、自由民権運動に変貌するのである。「尊皇攘夷の志士」は「自由民権の壮士」へと姿を変えたのだ。そのエネルギーが、日本の政党と結社と派閥の精神的中核となり、大きな変遷を経て、何らかのかたちで現在にまで続いているといっていい。
「家族的一体感」そして現在
このように振り返ってみると、日本の政党、派閥の精神史に次のようなことがいえる。 権力は常に情緒的反対勢力を生む。どのような権力も、それに反発する心理の集団を生じ、左翼あるいは右翼、革新あるいは保守と、それなりの理論武装をする。 したがって、右(皇国主義)と左(マルクス主義)は、真逆の精神的価値観をもちながらも、社会に対する心的エネルギーにおいて通底し、急進的な現状変革に向かう。 幕末以後の日本列島には、常に国際関係の外力に対する応力が形成される。たとえば列強の脅威という外力に対する応力としての尊皇攘夷、西洋の植民地主義に対するアジア主義、ロシアの南下に対して中国東北地方に進出しようする方策とそれを阻止しようとするアメリカとの対立、米ソ冷戦構造下における西側化、中国の軍事的台頭とそれに対する包囲網の形成、などである。 そして日本の圧倒的な政治権力の正体は、たとえば、ナポレオン、ビスマルク、レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、チャーチル、ルーズベルト、プーチン、習近平、サッチャー、メルケルなどの強いリーダーシップをもつ政治家ではなく、もちろん天皇でもなく、国民の「家族的一体感」であり、今の言葉でいえば「同調圧力」ではないか。 このように、現在の政党、結社、派閥などの政治勢力は、幕末以来の思想とエネルギーを継承している。 しかし、少子高齢化、行政のデジタル・トランスフォーメーションの遅れ、インターネットを基本とするグローバリズムの中に埋没する日本経済、近隣海域の軍事的緊張、そして地球全体の温暖化と異常気象などの、新しい問題を考えたとき、これまでの脈絡を離れた、まったく新しい思想の政治勢力が出現してもいいのではないかという気もする。 果たして岸田政権にそういった新機軸が期待できるかどうか。野党共闘に期待できるかどうか。 野党に政権担当能力がなければ、保守二党論あるいは与党内政権(政策)交代論も浮かび上がる。そしてそれが、ここで政党と派閥を並べて論じた理由でもある。 いずれにしろ国民は、選挙用のバラマキ政策を掲げる日本の政党と政治家に、この国の舵取りを任せていいのかどうか心配しながら投票所に行かざるをえない。氷山に向かうタイタニック(矢野財務次官の言葉)にならなければ良いがと…。