選挙を機に振り返る「政党と派閥の精神史」
第49回衆議院選挙が19日公示され、12日間の選挙戦が始まっています。新型コロナウイルスへの対応などを大きな争点に、論戦が展開されています。 【動画】5分でわかる 自民党「派閥」の歴史 “田中支配”から清和会の隆盛まで 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏が、選挙戦のまっ只中にある日本の政党と派閥について、独自の視点で振り返ります。
自民党の派閥力学と野党の共闘力学
岸田新内閣の誕生によって「宏池会」という言葉が久々に脚光を浴びた。「保守本流」という言葉もよく聞かれた。 自民党の中にそれぞれの歴史的脈絡をもついくつかの派閥があり、その力学によって総理が決まり内閣が組織されるということだ。一方、立憲民主党をはじめとする野党は、今回の衆議院選挙で基本政策の違いを棚に上げて共闘するという。そこにもそれぞれの歴史的脈絡をもつ思想的葛藤の力学が隠されているはずだ。 こういった政党と派閥には、どのような思想の違いがあり、どのような経緯によって、今のようなかたちになっているのか。ともすれば曖昧になりつつある現在、日本の政党と派閥の精神(思想・文化)の歴史と構図を、現在から過去へとさかのぼりながら、もう一度確認してみたい。
党人派と官僚派と保守本流
現在の自民党には、細田派、麻生派、岸田派、竹下派、二階派、石破派、石原派といった派閥があるが、大きくは清和会(細田派)、宏池会(岸田派、実は麻生派もこの流れ)、平成研究会(竹下派、旧経世会)の系統であり、その三つの派閥が戦後保守の歴史と構造をよく現している。(文中、派名は通称を含む) 清和会は、岸信介元首相と福田赳夫元首相の流れを汲む、どちらかといえば「党人派(反吉田)」中心の派閥である。岸が政治生命をかけて改定した(1960年)日米安保条約を重視して、冷戦時代から社会主義国と対峙し、反ソ連、反中国で、アメリカ、台湾寄りであった。どちらかといえば国粋主義的で、タカ派、右寄りとされ、憲法改正を目指す。安倍元首相が影響力をもち、高市政調会長も思想的にはこの派に準ずる。 岸田首相の率いる宏池会は、池田勇人元首相と大平正芳元首相の流れを汲み、いわゆる吉田学校の「官僚派」が多かった。池田内閣の「所得倍増論」によって高度成長の緒についたこともあり経済に重点をおく。どちらかといえばハト派で、中国との関係も重視している。田中秀征氏はこの系統を保守本流とし、清和会系を自民党本流とした(『自民党本流と保守本流 保守二党ふたたび』講談社)。一つの見識であるが、どちらも本流というのが分かりにくい面はあった。 平成研究会(旧経世会)は、田中角栄元首相、竹下登元首相の流れを汲み、現実主義的で、イデオロギーよりも政策遂行力を旨とした。当然経済重視であるが、田中が「コンピューターつきブルドーザー」と呼ばれたように、公共事業の推進に力を発揮した。田中・大平の盟友関係から宏池会と協力することが多く、日中共同声明は、当時の田中首相と大平外相の連携で進められた。当然ながら中国との関係を重視する。田中派出身の二階前幹事長が中国や韓国とのパイプをもつのもそういった経緯がある。 しかしここしばらくの中国の軍事拡張によって、宏池会も平成研も、アメリカを中心とする中国包囲網の方向に大きく舵を切っている。また人口減少と巨額の財政赤字を受けて、公共工事も控えめになっている。 こういった戦後自民党の派閥の源流を探れば、GHQのもとで戦後政治を担当した吉田茂元首相が、戦前の政党人を信用せず、池田勇人や佐藤栄作といった官僚を大幅に政治家に起用し(いわゆる吉田学校)、党人派に対する官僚派が形成されたことに端を発し、1955年の日本民主党と自由党との保守合同(いわゆる55年体制)によって固まったものが、その後の政変(特に田中角栄の登場と退場)をつうじて変化したと考えていい。