選挙を機に振り返る「政党と派閥の精神史」
社会主義から平等主義へ
一方、野党の多くは、戦前戦後をつうじて多くの国に広がったソビエト寄りの社会主義(マルクスレーニン主義)思想から出発している。自民党の保守に対する、社会党、共産党の革新という構図だ。しかしソ連崩壊と、ベルリンの壁崩壊以後、東ヨーロッパの社会主義陣営が総崩れとなったことと、小沢一郎という政治家が登場したことによって一変した。 小沢は全盛期の田中派と経世会の中心にいた実力者であったが「政権交代」という思想によって自民党を割り、新しい党を立ち上げて細川政権、羽田政権を実現し、のちの民主党政権の実現にも寄与した。竹下政権以後野田政権までの政局においては、常にこの人物がキーパーソンであった。その過程の分裂と統合によって、左翼(社会主義・共産主義)思想は次第に影を薄め、小沢流の政権交代主義と国内平等主義へとシフトしている。 本来野党の多くは、戦後平和主義であり、日米安保破棄をとなえ自衛隊を違憲としてきた党もあるが、これも中国の軍事的台頭によって、おしなべて防衛重視に舵を切っているようだ。今回の野党共闘にもそのことが現れているのだろう。
皇国的社会主義
さて戦前はどうであったか。昭和の前期には軍部の力が強く、立憲政友会を中心とする政党もマスコミも、軍国的ファシズムに傾斜せざるをえなかったのであるが、その対極において、左翼的な革命に向かう社会主義(共産主義)思想も強かった。 しかしながら実は、血盟団事件、5・15事件、2・26事件などの理論的支柱となった北一輝や大川周明の思想も、天皇を中心とする一種の社会主義であり、この時代にはマルクス的社会主義と皇国的社会主義が大きなエネルギーとして両翼に陣取っていたといえそうだ。 とはいえもちろん、マルクス的社会主義は、国際的なプロレタリア階級と連携し、歴史を前に進める意味の革命に向かうのに対して、皇国的社会主義は、国家と民族の伝統を重視して天皇中心の家族的社会に向かうのであり、精神的な価値観の面では両極端に位置しながら、下層においては通底するというかたちであった。 少し前の大正時代には、大正デモクラシーと民本主義そして婦人解放運動が、ヨーロッパからの進歩思想として広がる潮流であった。それは資本主義の拡大による都市的大衆消費の生活様式(「今日は三越、明日は帝劇」などの標語を生んだ)が普及することと軌を一にしており、不況がつづいた昭和初期にはその反動が両極に現れたともいえる。 いずれにしろこういった時代は、憲法の制定と、選挙で選ばれた議員による国会の開設後のことであり、曲がりなりにも(戦後思想からは不十分として批判されるが)民主主義が成立していたことに注意すべきだろう。つまり日本の政党は国家を安定運営する力が弱かったということではないか。