日本の饅頭の元祖、塩瀬総本家第34代当主・川島英子、100歳の人生訓とは「売り方は新しい時代に応じても、味は決して変えません」
東京・築地に本店を構える和菓子の老舗、塩瀬総本家。日本の饅頭の元祖とされ、時の為政者たちからも愛されてきました。先代当主の川島英子さんは今年100歳。息子に当主を譲った今も会長を務めながら、講演活動などを続けています。戦中戦後の苦難を経て、英子さんが大切にしてきたこととは (構成:平林理恵 撮影:上田佳代子) 【写真】足利義政が書いた看板の文字を復元し、店頭に掲げている * * * * * * * ◆みんなの反対を押し切って 塩瀬の暖簾が英子さんに託されたのは80年、55歳のときだ。それは「まったく予想していなかった展開」だったという。 ――私は忙しい商売人の家ではなく、サラリーマンの奧さんになりたかったの。だから年頃になると、さっさとお嫁に出ちゃった。自分が塩瀬を継ぐ可能性はまったく考えていませんでした。 ところが、元気いっぱいだった母がある日突然倒れて入院してしまい、容体は悪化。そんな母が、「遺言を残したいから、弁護士と会計士を病院に連れてきて」と言い出したのです。そして、その立ち会いのもとで、「店のすべての権利を英子に渡す」と言われました。 もちろん驚きましたよ。でも、不思議なくらい迷いはなかった。妹もすでに家を出ているし、長女の私がやるしかない。父と母が守り抜いてきたこの暖簾を私が継ごうと、その場で心は決まりました。 大変だったのは私の夫です。母は私の隣にいた夫の手を取り、「英子を頼みます。どうか一緒に塩瀬を継いでやってください」と繰り返し、その手を離さなかった。あのとき、私と塩瀬総本家を引き受けてくれた夫には感謝のしようもありません。 こうして私は34代目の当主となり、夫は会社を辞め、それまでの経験を生かして経理や社内組織の刷新に腕を振るってくれることになったのです。
父と母が暖簾を守るために必死でやってきた姿は、私の目に焼き付いていました。伝統の味、そして「材料落とすな、割り守れ」という父の教えを引き継ぐのは当然のこと。 その一方で、このままでいいのかという不安もあったのです。母が力を注いだブライダル市場はまだまだ伸びてはいましたが、足元では少子化が進んでいたし、結婚する人も減っていた。 盛大な結婚式よりも新しい生活にお金をかける時代が、そして披露宴の引き出物に和菓子一辺倒ではなく、チョコレートやクッキーを選ぶ時代がそこまで来ていました。ブライダル向けの商売を中心にしていてはジリ貧になる。 これからの時代を生き抜いていくには、塩瀬のお菓子のおいしさをもっとたくさんの人に知ってもらうことが何よりも必要だと思いました。限られたお客様を相手にするのではなく、広く一般の人に、塩瀬のお菓子を手に取ってもらわなくては。 そのために手っ取り早いのはお店を持つことです。社長になって3年目、今こそ、600年以上塩瀬がやってこなかった「小売り」をやるときだ――。
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