【ABC特集】「爆弾が雨あられのように…亡くなった方が池に浮いていた」6度の空襲で1496人が死亡 「明石空襲」知られざる記憶【終戦79年】
公園の一角に、いびつな形をした木があります。爆弾によって吹き飛ばされ、残った根元から複数の新しい幹がのびた「株立ちの木」。 被害がひどかった場所では、こうした爪痕が、今もいたるところに残っています。
(牧野さん)「剛ノ池。日本の『桜名所100選』に選ばれている。それに対して、戦争当時は爆弾がいっぱい雨あられのように降ってきて、亡くなられた方がぷかぷか浮いていたと。樹木には着ていた衣服や片腕・片足など肉片が引っかかっていたそう」
「空全体がピンク色に…」炎に包まれる明石の街
軍需工場を狙った攻撃は、次第に市街地を狙った無差別攻撃に変わっていきます。 7月7日深夜、焼夷弾4875発が投下され、明石の中心部は、火の海となりました。
矢野蓉子(やの・ようこ)さんは1回目の空襲の後、現在の神戸市西区に疎開していたため被害を免れました。 (矢野さん)「(疎開先から見ると)空全体が赤い色というかピンク色。『あれ明石が燃えているんやで』とおじいちゃんから聞いたのかな?じっと屋根の上に座って、長い時間見ていた。それが悲しいか怖いかはわからない。ただ見とかないといけないという感覚はあった」
これまで人前で空襲体験を語ることはありませんでした。しかし、今年はじめて参加した「戦跡めぐり」をきっかけに、ある決意をします。 (矢野さん)「(体験の)話ができるのは私の年代まで。1学年下の人は、全然記憶もないし怖さもない。だから今『明石ってこんなに怖かったんやで』ということを話したい」 半年の間に6回もの空襲を受けた明石の街。1496人もの尊い命が犠牲になり、市内の61%が壊滅したとされています。
明石市は悲惨な記憶を風化させないようにと、平和資料室を開設しました。 ここでは体験者の証言や、市内に残る戦跡がパネルで紹介され、誰でも無料で見ることができます。
子どもたちに受け継がれる平和への願い
今年、明石空襲について初めて授業に取り入れた学校があります。 (6年生)「実はこの明石でも大きな空襲があったと知っていますか?」 (6年生)「怖い写真や絵が出るかもしれないけど、目をそらさないで真剣に見て下さい」 創立150周年を迎える明石市立 林小学校も、戦時中ほとんどが空襲で焼けてしまいました。 6年生は体験者の話を聞いたり、自分たちの足で戦跡を調べたりするなど地域の歴史を学んできました。 (6年生)「今私たちに出来ることはいじめ・暴力・暴言など人を傷つけることをこれから少しずつやめていった方が良いと思います」
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