なぜ本田圭佑はアゼルバイジャンの名門ネフチに正式入団したのか「日本人がプレーしたことのない国での第1号になろうと」
過去にプレーしたヨーロッパの国々、オランダやロシア、イタリア、そして幻に終わったポルトガルよりはるかにレベルが落ちる、アゼルバイジャンでのプレーを選んだのはなぜなのか。本田は「なぜ日本へ帰ってプレーしないのか、とよく言われる」と苦笑しながら、独自の生き様を再び展開した。 「日本では若いころに3年間プレーしたので、私が戻ることにもう誰も関心を示さない。そして私自身は海外で、常に新しいチャレンジを求めている。過去に日本人がプレーしたことのない、このアゼルバイジャンという国の第1号になろうと思った。正直、他のヨーロッパのクラブでプレーする機会がなくなっているなかで、偉大なクラブからプレーする機会をもらったことに感謝したい」 日本人にとって未知のリーグ、という状況が本田の野心を刺激したのだろう。ただ、オーバーエイジでの東京五輪参戦を依然として目標に掲げる以上は、日本に情報が届きにくいアゼルバイジャンでのプレーは、男子代表チームを率いる森保一監督へのアピールになかなか結びつかない。 何よりもカンボジア代表の実質的な監督との二足の草鞋を履いてきた、2018年のロシアワールドカップ以降のサッカー人生で、フル代表からは実質的に引退状態となっている。それでも「何事にも不可能はない」と豪語する本田は、強気な姿勢を絶対に崩さなかった。逆に考えれば、ビッグマウスが影を潜めれば「本田圭佑」ではなくなってしまう、と考えている証と言っていい。 会見では背番号についても質問が飛んだ。エースナンバーの「10」が空いている状況で、あえて「4」を背負った理由を問われた本田は「この番号が好きなんです」と笑い飛ばした。 「日本代表チームでは『4』を背負ってからの方が、ゴールを多く決めている。いまは笑われるかもしれないが、それが理由です」 言葉通りに日本代表で決めた37ゴールのうち、背番号を「4」に変えた2012年5月以降で本田は「29」を決めている。シーズン終盤で突如退団し、不本意な成績と相まってサポーターから批判を浴びたボタフォゴでも「4」だったことを忘れたかのように、本田はこんな言葉も残している。 「過去のミステイクや失敗を、いくら言われてもかまわない。そして、私は(批判する)彼らに言いたい。それこそが、私がここにいる理由だ、と」 批判やプレッシャーを成長への糧に、前へ進む原動力に変えてきた骨太の生き様を、カスピ海に面したアゼルバイジャンの首都バクーでも貫いていく。究極のポジティブ思考を稼働させながら、ネフチのオフ明けとなる現地時間18日の練習から本田は新天地へ合流する。 (文責・藤江直人/スポーツライター)