小学1年生の息子を事故で亡くし、七回忌を迎えても納骨できない家族。和尚は何を語ったのか
◆終止符 「あれから丸6年経つのですね。息子さんが御存命なら小学校は卒業の時を迎えます。もうランドセルは使いませんね」と語りかけると、母親の形相が変わりました。 「このままでは成仏できません。お母さまが息子さんの死を認めてあげることで、安らかに眠ることができるのですよ。お嬢さんも、前を向いて生きていけるのですよ」と伝えました。 そのまま2年ほど経った頃だったでしょうか。父親から納骨しますという連絡が入ったのです。 あれから少しずつ現実を受け入れていき、子ども部屋にあったものを処分なさったということでした。そして最後まで残ったのが骨壺です。 そんな中、大学受験を控えた娘さんが「あの子の分まで頑張る」と宣言すると、ご家族の決意が固まったようでした。 納骨して長年の苦しみに終止符を打つと、母親はうつ状態から回復、今ではパートの仕事をしておられます。
◆人生を歩み続けるために 納骨は執着を断ち切る儀式でもあります。 道元禅師の言葉に「生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり」というものがあります。 あきらめとは諦めるという意味ではなく、明らかにするという意味で、「生とは何か、死とは何かを明らかにすることが仏教においてもっとも大切なことである」という教えです。 生とは何か? 死とは何か? という問いに対して、現代科学をもってしても明確に解き明かされていません。 けれど、この人はもういないと死を受け入れることが、人生を歩み続けるために必要なのです。 ※本稿は、『心が整うおみおくり-残された人がよく生きるための葬儀・お墓・供養のこと』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
大愚元勝