「法律が追い付いていない部分がある」伊藤詩織さん会見7月20日(本文2)
日本で生活する人々にどんなメッセージを伝えたいか
Paradise Post:Paradise Postの一城と申します。詩織さん、本当に長い間お疲れさまでした。詩織さんの行動は、この今の社会に違和感を感じている多くの人たちの希望になっていると思うのですが、詩織さんは、今この日本社会で生活している人々にどんなメッセージを伝えたい、あるいはどんなことをメンションされたいですか。教えてください。 伊藤:実はこの判決を振り返る中でいろいろな記録があったので見てたんですけど、2019年の第1回目の判決が出たときに、両親が初めて2人で判決を聞きにきてたんですよね。私はその後ばたばたしてしまって会うことはできなかったんですけど、そのときの音声を実は最近聞いて、そこで母が、まさか自分の家族に起こると思っていなかった、そして母親としては一番娘に起きてほしくない、悪夢だったって話してたんですよね。
当事者の声に私たちがどう向き合うのか
本当に私たち日常、今もいろんなニュースがあふれて、いろいろなことが起きている中で、やはりそれを自分ごととして捉えることってなかなか難しいと思うんです。だからこそやはりそういった当事者の声に私たちがどう向き合うのか。私も自分が当事者となってすごく感じること、知らなかったことがたくさんあったので、本当にいつ自分の身に起こるか分からない。そうなったときにやはり法律がそれを導いていくっていう点で、まだまだ追い付いていない、法律が追い付いていない部分があるんじゃないのかなというのが私の気持ちなので、そういったところに対して、やっぱりもっと法律の感度を上げていくためにも一緒に目を配ってほしいですし、先ほど佃先生もおっしゃったように、やはり私たちが自分の受けたであろう被害であったり体験を語ることができなくなってしまったら、それこそ、さらにサイレンスを持ち、さらに沈黙を強いてしまうことだと思うので、それは決して許されてはいけないことだし、それを考えると、これは本当に許されてはいけない判断だったんじゃないかなと思います。 実際に、今回は高裁でこういった判決が出ましたけれども、私がこの被害を届け出たあとに、あちらからは刑事事件として、虚偽告訴として警察に訴えられて、被害届を出されて、私は実際に警視庁の方から、4人集まって取り調べを受けたこともありました。指紋も採られて、体の特徴も全て答えなさいと言われて、本当に、まさか自分が当事者でここまでされるのかと驚いたところです。それが本当に当たり前になってしまったら誰も自分に起きたことを語れなくなってしまう。それは本当に許してはいけないことだと思うので、これを今ある権利だからといって許してしまうのではなく、常に当事者以外の方からも疑問を投げ掛けてもらうということがすごく必要だと思います。ありがとうございます。 司会:ほか。どうぞ。あ、たまかさん。