レオス・キャピタルワークス藤野英人「若い頃に『根源的な好き』を見つけることが大事」
「Forbes JAPAN」2024年10月発売号にて掲載した「世界を変える30歳未満の30人」にフォーカスした「30 UNDER 30 2024」。そのアドバイザリボードを務めていただいたSBIレオスひふみ代表取締役 会長兼社長 グループCEO / レオス・キャピタルワークス代表取締役社長CIOの藤野英人の「私のU30だった頃」とは──。 SBIレオスひふみ代表取締役 会長兼社長 グループCEO / レオス・キャピタルワークス代表取締役社長CIOの藤野英人は、もともとファンドマネージャーになるつもりはなかったという。同社はグループを通じて「ひふみ投信」をはじめとする金融商品の運用や販売を手がけ、顧客から集めた運用資産は7月時点で1兆4000億円を超える。独自の切り口から成長企業を探しだし、高い運用成績を挙げると同時に、投信の販売を外部に頼らず運用会社自身が直接販売するというビジネスモデルで業界に新しい風を吹き込んできた。 かつてカリスマファンドマネージャーと呼ばれ、著書『投資家が「お金」よりも大切にしていること』をはじめとするベストセラーも数多く出版してきた藤野。新卒時に「たまたま」出会った仕事でいくつもの壁を乗り越えながら新しい世界を切り開き、今も「日本の投資に対する意識を変えたい」という目標に向かって突き進む藤野に「20代で飛躍した瞬間」を聞いた。 ■中国の天才数学者との出会い 藤野の転機は大学3年生の頃、学生同士の草の根活動「日中学生会議」に参加したことだった。会議の場で中国側の「数学の先生」にかけられた言葉に衝撃を受けたという。「先生」は中国のトップ校のひとつ、清華大学に所属し、日中両国の学生の交流を目的とした会合でファシリテーター役を務めていた。 藤野は次のように振り返る。 「ニコニコと笑顔で歓迎してくれて、失礼ながら『どうしてそんなに笑っているのですか』と聞くと『当り前じゃないか。君が日本から来てくれたからだよ』と言うのです。それからです。僕も『あなたがいるから幸せだ』って言える人になりたいと思うようになりました」 その先生は、数学の国際大会でメダルを獲った経歴があるほど優秀だった。しかし、1960年代後半、文化革命中の学生や知識人らに対する「下放」(上山下郷運動)と呼ばれる政策で地方に流され、10年間、強制労働の日々をすごした過去があるという。その間は数学の研究ができないのはもちろん、「家畜以下」と言えるほどの過酷な生活を送ることを余儀なくされた。 「そんな壮絶な過去があるのに、僕と会った時は『数学は本当に楽しい、大学に戻って学ぶことは楽しいって改めて思った』と明るく話してくれる。そんな先生に比べて、僕はいかに自分が恵まれていたのか、なんて甘えていたのかと思い知りました」 藤野は早稲田大学法学部の出身だが、大学受験では「挫折」も味わった。そのため入学当初は学校に行かず、自宅でピアノを弾いてすごす「弾き(引き)こもり」の毎日をすごす。隣人からは芸術系の大学に受かったものだと勘違いされるほどだった。 「一般的に言えば『いい大学』に入って、チャンスも山ほどあったはずなのに、当時の僕にはそれがまったく見えていませんでした。先生との出会いからはほかにも、たった1時間あまりのミーティングでも会った人にいい影響を与えたり、ちょっとした出会いで人生を変えられることがあったりするといった、いろんなことを学ぶことができました」