「みたらしバターサンド」が大ヒット 京都の和菓子店『梅園』…100年の歴史を変えた跡継ぎ娘の挑戦 両親の反対押し切り百貨店進出、働き方改革も
1927(昭和2)年創業、世代を超えて親しまれている京都の甘味処「梅園」。名物は創業当時から変わらない、特製の甘じょっぱいタレで仕上げるみたらし団子。あんみつ、夏のかき氷や冬のぜんざいなど昔ながらのメニューで人気の名店。 【動画】「跡を継ぎたい娘」と「継がせたくない親」との攻防は…!? 老舗みたらし団子店三代目の挑戦物語 現在の経営者である三代目は、当初は店を継ぐことを両親に反対されるも、それでも自分の信念を曲げなかった熱き女性。誰にも負けない情熱を燃やし、突き進んで来たストーリーに迫ります! 話を伺ったのは「梅園」三代目の西川葵さん。どこかおっとりした雰囲気が漂うイメージとは裏腹に、2010年に経営を両親から引き継ぐと店舗数を2店舗から6店舗に、商品ラインナップを3倍以上に、そして百貨店への出店まで実現させた超やり手!しかしそこには、「跡を継ぎたい娘」と「継がせたくない両親」の物語がありました。
約100年続く人気店「梅園」 店を継ぎたい娘が、継がせたくない両親を説得した驚きの作戦とは
甘党茶屋「梅園」のひとり娘として生まれた葵。実家の環境から自身もお菓子作りが大好きになり、和洋様々なお菓子を作る子ども時代を過ごします。学校に持って行って友達に配り、「美味しいね」と喜んでもらえることが何より嬉しかったそう。この頃より、将来は店を継ぐものだという意識が芽生え始めていたようです。 時は経ち、高校3年生になった葵。両親に大学進学や将来何をやりたいかについて尋ねられ、「梅園を継ぐ」と伝えたところ、なんと大反対されます。葵は幼いころから当たり前のように「梅園を継ぐつもり」でいましたが、娘に大変な思いをさせたくない両親は「継がさないつもり」と一点張り。そこで葵は継ぎたい気持ちを内に秘め、両親を安心させるためにあっさりと大学の「国際文化学部」への進学を決めます。 しかし、そこには両親には伝えなかった葵の戦略がありました。これから京都は外国人観光客が増えると予想し、大学での学びは梅園の経営にも役立つだろうと考えていたのです。さらにいち早く仕事を覚えるため、アルバイトならやってもいいという許可を得てお店で働き始めることに。 そこから3年が経ち大学卒業を控えたある日、ついに本性を表します。今後について両親に問われた時、就職活動をしていないことを打ち明けたのです。それは、「梅園」を継ぎたい気持ちが本物だと認めてもらうためでした。「しゃあないな」と、その本気度をようやく両親に認めてもらうことができ、狙い通り梅園に入社を果たしました。