レオス・キャピタルワークス藤野英人「若い頃に『根源的な好き』を見つけることが大事」
新卒で「たまたま」就いた仕事
今ではファンドマネージャーとして業界の内外でもよく知られる藤野だが、そもそもこの仕事に就いたきっかけは、実は「たまたまでした」と明かす。 「人生を通じてファンドマネージャーになるなんて、就職した頃には1ミリも考えていませんでした。祖父が裁判官だったこともあり、まわりも司法の世界を勧めるので、もともとは検察官や裁判官を志望していたのです。でも学生時代に司法試験に合格することはできませんでした。そこで2年くらいは社会勉強やキャリアになるような仕事をして、お金を貯めて、改めて司法試験にチャレンジしようと考えました」 大学卒業後に野村投資顧問(現・野村アセットマネジメント)へ入社したのは1990年。当時はバブルのピークにあたる。日経平均株価は89年12月に当時の最高値3万8915円をつけた直後で株価はなお高い水準で推移し、証券会社や資産運用会社には追い風が吹いていた。短い期間でも働けばたくさんお金がもらえそうだという期待があった。 ところが、同社で働くうちに藤野の考えは変わっていった。 「最初に配属されたのは中小株の運用部門です。毎日のように個性の強い中小企業の経営者がやってきて、自分でつくった会社のことを、ものすごい熱量で話しかけてくる。同期5人の中で私以外はみな、投資の勉強してきたエリートぞろい。当時、かっこいいと思っていた投資の仕事のイメージともかけ離れていました。そのため最初は落ちこぼれだからこの部署に配属されたのかな、と思っていました。しかし、彼らと1年、1年半と向き合っているうちに、世の中がだんだん『カラフル』に見えるようになっていったのです」 大企業に比べて会社の規模や売り上げは決して大きくない。だが、それぞれが手がける事業や商品の一つひとつには、大企業に負けない技術やノウハウ、情熱が込められている。 「ペットボトルを囲むフィルムラベルを包む会社や、水道栓をつくる会社のトップとお会いする機会もありました。ペットボトルも水道栓も、毎日のように使ってはいても、どんな会社が、どうつくっているかなんて意識したことはありません。それでも、そのメーカーや経営者は日々、フィルムや水道栓のことばかりを考えて、競争に負けないようにライバルとしのぎを削っています。身の回りを見渡すと、そういったモノのおかげで僕達の暮らしは成り立っていることがわかる。彼らとの面会を繰り返すうち、今まで見えてなかったものが見えるようになり、世の中に彩りがあるように感じてきたのです」 彼らは藤野にとって、もう一つ大事なことを育んでくれた。起業に対する憧れや意欲だ。