子どもが他者を助けられるようになる育て方とは 「自己実現の欲求」のさらに上を目指すために
この中から、今回は①~③について詳しく解説する。 ■感情的ではなく客観的に状況を把握する ①子どもより先生の肩を持つ 子育てをするなかで、多くの助力者に出会うことになる。学校の先生をはじめ、ピアノ、バイオリン、美術の先生、家庭教師、ボランティア団体のリーダーなど、子どもは無数の大人たちと出会い、関係を築き、学んでいく。 ところで、その関係のなかで問題が生じると、親は子どもの口から何が起きたかを聞く。愛する子どもが興奮した声で先生の理不尽さや自分が困っている問題を訴えるのを見ると、「いったい、なぜうちの子にこんなことを?」と思うこともあるだろう。だが、こんなときほど、親は感情的になるより客観的に状況を把握するべきだ。
私も3人の子を育てながら、たびたびこのような経験をした。優等生で牧師の子どもでもあった娘たちは、幼い頃からよい子として評価されていた。それでも私は、常にまず先生の立場で考え、子どもと話すときは先生の肩を持つようにしていた。そうすることで、子どもたちは自分の態度や見方を改めて見直す機会を得て、自身のなかに隠れていた身勝手な気持ちに気づくことになった。これもまた、自分を理解する過程なのだ。 ■誰からも愛される子に育てる
②しつけは選択ではなく必須 しつけは愛のもう1つの姿だ。だから、やるかやらないかを選択できるものではなく、必須なのである。子どもが幼いほど、しつけはより重要になる。わが家は牧師の家庭なので、周囲からの期待値が高く、牧師である父親はもちろん、子どもたちも多くの注目を浴びた。 他の家庭の子どもなら気にされないいたずらや過ちでも、わが子たちがすると悪口を言われたり後ろ指をさされたりすることもあった。そのため、どうすればうちの子どもたちが周囲から愛される存在になれるかを考えた。
私はその正解を聖書から見つけることができた。「歩むべき道に応じて若者を訓練せよ。/そうすれば年老いてからもそれることはない」。これは「箴言(しんげん)」の一節だ。このように、聖書は子どもたちをしっかりしつけることを教えている。 実際、自分の子どもなら少々過ちを犯しても、失敗したとしても、かわいく思えるものだ。だが、他人はそう思わない。それに気づき、誰からも愛される子に育てるには、もう少し厳しくしつける必要があると考えた。そのため、礼儀もきちんと教え、親と大人を尊敬するようにしつけた。