次期学習指導要領「先生の業務の見直し」も着手を 学校は何をするところ?教員のコア業務とは?
授業時間や教科書の内容も増えている
そのうえ、近年、学習指導要領が改訂されるたびに、教える内容(学習内容)は増え、教科書はどんどん分厚くなっている。 1998年改訂のときには、学校も週休2日(学校週5日制)になったので、学習内容の大きな精選が進んだ。だが、これがいわゆる「ゆとり教育」批判、学力低下論争につながり、それ以降は学習内容が増え続けている。 現行の学習指導要領は、土曜も含めて週6日でやっていた同じ授業時間数を週5日で詰め込もうとしているのだから、子どもも教員も忙しくなるのは当然だ。図の変遷からも、平成の終わり・令和のはじめに平成のはじめと同じ授業時間数に戻ったことがおわかりいただけると思う。 これから検討される次期の学習指導要領では、現行以上に総授業時間を「増やさない」方針だという(文科省「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会 論点整理」令和6年9月18日)。だが、おそらく大勢の教員の気持ちを代弁するなら「増やさない」ではなく、「減らしてほしい」だ。それは教員向けアンケート調査をいくつか見ればわかることである。
「子ども目線」でも考える
教員目線だけではなく、子どもたち目線、あるいは子どもの意見表明も大事だ。もちろん、いろいろな子がいるので一概には言えないが、小学生から毎日のように6時間も授業があるのは、疲れる子も少なくない。 一方で、教育(学習)での学校の役割を縮小しすぎると、家庭の教育力による格差をさらに広げることにもなりかねない。経済力があり教育熱心な家庭の子ほど、もともと学力が高い傾向があり、そのうえに塾や体験活動も豊富なのでさらに差が広がるからだ。こうした難題に、学習指導要領のあり方や学校の役割の議論は関わっている。 さらには、AIの活用や情報リテラシーなどをはじめ、社会の変化に応じて、教育内容は増やしたい圧力が強まる。一方で、何かを減らすとなると、その教科の専門家や業界団体、あるいはメディアなどから猛反対が来る。いったい何を減らす(減らせる)のか、減らさないのか、あるいは増やすのか、各論を丁寧に議論していく必要がある。 また、これだけネット上でも動画などで学べる時代に、個々の先生が授業をやる必要があるのか、という疑問も評論家などからたびたび出ている。全国2万校近くある個々の小学校の個々の教室で、分数の割り算の仕方や基礎的な英語を教えるのではなく、うまい先生の動画やAIによる支援から学んだほうがよいのではないか、教員不足ならそうした工夫ももっとするべきだ、という意見だ。 これはもっともなところもあるし、ICTやコンテンツはもっと活用されてもいいと思うが、そう極端には振り切れないのも事実だ。動画やAI教材などでセルフペーストラーニングができる子はやっていけばよいが、それが難しい子……例えば、学ぶ意欲に乏しい子やどこにつまずいているのか自分ではよくわからない子への支援など、教員の役割は残る。 また、子ども同士の相互作用による学びの深まりや、教科横断的な学び、探究なども重要なので、やはり個々の教室でやっていくことは残る(各地で共通して活用できる教材などはあったほうがよいし、教室という枠を飛び越えた学びがもっと充実したほうがいいとは思うが)。 いずれにせよ、何をどこまで個々の教員がやって、どこは機械や別の専門家、あるいは地域などの手を借りるのかについても、今後とも模索、試行錯誤が続いていくだろう。学校丸抱え体制では教育効果上も、あるいは教員の負担上も限界がある。