これがなければ「光る君へ」は傑作になっていた…歴史評論家がどうしても看過できなかった7つの残念シーン
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」をどう評価すべきか。歴史評論家の香原斗志さんは「美術のセットは素晴らしく、史実に忠実な描写も多くてよかった。一方で違和感を覚えた場面もあった」という――。 【写真】2014年1月23日、国際宝飾展で開催された「第25回日本ジュエリー ベスト ドレッサー賞」受賞した女優の吉高由里子さん ■「光る君へ」の美術レベルはとても高かった 平安絵巻さながらの美しいビジュアルに何度も息を飲んだ「光る君へ」。『源氏物語』の作者とされる紫式部(吉高由里子、ドラマではまひろ)の物語に、藤原道長(柄本佑)の生涯をからめた2024年のNHK大河ドラマは、色鮮やかで気品あふれる衣裳はもとより、内裏の清涼殿ほかのセットや調度も、細部までこだわって造り込まれていた。それこそ毎回、敬服させられた。 細かい話に思われるかもしれないが、内裏や土御門殿などの装置が、すべて白木で形成されていたのがよかった。私たちがいま眺める日本の歴史的建築は、木部がこげ茶色だが、それは経変変化によるものだ。その時代に新築された木造建築は、当然ながらみずみずしい白木に囲まれていた。 ところが、歴史ドラマにせよ時代劇にせよ、多くの場合、建物の木部はこげ茶色で、昨年の大河ドラマ「どうする家康」も、新築なったばかりの安土城や大坂城の柱や梁がこげ茶色で、違和感を覚えたものだ。「光る君へ」は、そのあたりのリアリティが徹底的に追求されていた。 また、史料に忠実な描写が多いのもよかった。この時代の宮廷の模様は、藤原道長の『御堂関白記』、藤原行成の『権記』、藤原実資の『小右記』という3つの貴族の日記のほか、『紫式部日記』など、第一級史料によって、かなり具体的にたどることができる。実際、それらの記述が活かされた場面が多かった。
■大河ファンとして残念だった7つの場面 よい部分も多かっただけに、それとの対比で、「ここはこうしないでほしかった」と思うことも少なからずあった。そこで、「光る君へ」を歴史ドラマとして評価した場合に、残念に思われた場面を7つ挙げたい。私自身、大河ドラマファンのひとりとして、制作サイドにも視聴者にも考えてもらいたいからである。 第7位は、終盤の第46回「刀伊の入寇」や第47回「哀しくとも」で見られた偶然の連鎖を挙げる。紫式部は没年に諸説あり、寛仁3年(1019)に異賊が北九州沿岸を襲撃した時点では(刀伊の入寇)、生きていたのかもわからない。 したがって脚本家の腕の見せどころだが、まひろが旅に出て大宰府に着くと、越前で出会った中国育ちの医師、周明(松下洸平)と再会し、まひろの娘の賢子(南沙良)と恋仲だった双寿丸(伊藤健太)までいる。そのうえ、まひろが周明とともに松浦(長崎県松浦市)に向かうと、その途上で刀伊に襲われ、絶妙のタイミングで双寿丸らが助けに現れるが、周明は刀伊の矢に打たれて息絶える――。 刀伊の入寇は平安中期を揺るがした日本の危機で、これを描くために、そのころの動向がわからない紫式部を現場に立ち会わせたところまではいい。だが、その場で知人に次々と会い、危機を迎えると双寿丸が現れ、しかし、もう一方の知人は死ぬ、という展開は、『水戸黄門』などの娯楽時代劇か、やりすぎの韓流ドラマを思わせる。もう少し自然な展開にできなかったのだろうか。 ■平安時代の恋愛はもっと面倒だった 第6位には、とくに上記の場面の延長で見られた、センチメンタルすぎる紫式部を挙げたい。周明が死んで泣き叫び、大宰府に戻ってからも、太宰権帥の藤原隆家(竜星涼)の前で、「周明と一緒に私も死んでおればよかったのです」と泣き続けるまひろに、私は共感できなかった。 「光る君へ」で描かれたまひろは全体に、センチメンタルで直情的だったが、『源氏物語』や『紫式部日記』から推察される紫式部は、私にとっては、もっと斜に構えたひねくれ者のリアリストだったと思われる。もっとも、異なる感じ方があることは否定しないが。 第5位は、貴族の女性が顔を見せすぎたこと。「光る君へ」では、まひろは思い立つとすぐに外出していたが、これは当時の貴族女性が普通にできたこととは思われない。 平安中期以降、貴族の女性は異性に対してみだりに顔を見せてはいけないという習慣が定着していた。このため人と面会する際は、基本的に簾や几帳を隔てていた。まひろが行動しないとドラマが動かないのはわかるが、そのために、平安時代の基本的なルールが無視されてしまうと、時代への誤解につながるから難しいところだ。 また、この時代は恋愛が盛んだったというイメージがあるが、そのプロセスは現代とはまったく違った。貴族の男性は気に入った女性に向けて和歌を詠み、使者に渡して女性のもとに届けさせ、女性はそれを読んで、気に入ったら返歌を送る。こうして何度か和歌を交わしたのちに、ようやく男性が女性の家を訪れ、また簾越しに和歌を詠み合って、気が通じ合えばようやく会える。面倒だったのである。 「光る君へ」では、このプロセスがほとんど省略された。たとえば、第24回「忘れえぬ人」で、紫式部の夫となった藤原宣孝(佐々木蔵之介)がまひろに求婚する際も、実際には手紙に記された言葉を、すべて口頭で語っていた。上述したプロセスをドラマで描くのが困難なのはわかるが、男女の交流がほとんど現代劇のように描かれ、違和感が残った。