日産「フェアレディ」の歴史を振り返る。一番好きなのはZ33!?
自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。 岡崎宏司の「クルマ備忘録」 今では日本を代表するスポーツカーとなったフェアレディZ。初期モデルからフェアレディを見続けてきた筆者。実は、スポーツカーとして広く人気を集めたZの中では、5代目Z33型が一番好きだと言います。
フェアレディの思い出!
改めていうまでもなく、フェアレディZは、日本を代表するスポーツカーだ。加えて、世界のクルマ好きに、もっとも広く知られたクルマでもある。 Z以前のフェアレディもオープンでスポーツカーの姿はしていた。だが、初期モデルは、シャシーもエンジンもダットサン トラック/セダンとほぼ共用。非力としか言えなかった。 とはいえ、日本の乗用車の黎明期に、「オープン スポーツカー」を作った気概には敬意を表したい。 フェアレディがスポーツカーと呼べる性能をもった初めてのモデルはSP311型。通称、フェアレディ 1600だ。1,6ℓ/90psのエンジンは、パワーもあり、高回転域まで気持ちよく回った。
トランスミッションはフルシンクロ。フロントブレーキはディスクになり、シャシー性能も大きくステップアップした。 以前書いた「初代シルビアの話」で触れたが、、、当時のスポーツ車の性能判断の材料として、もっとも注目されていたのは「ゼロヨン」。「0~400m」の加速タイムだ。 僕は日産車両実験部立ち合いの下、シルビアのゼロヨン テストを行い、メーカー公表値の17.4秒を0.7秒上回る16,7秒を叩き出した。その結果はすぐに拡散し、シルビアの、日産車のアピールに少なからぬ貢献をした。 ちなみに、このゼロヨンタイムは、圧倒的に軽量だったロータス エランを除く、すべての同クラス スポーツカーを上回っていた。 となれば、シルビアと多くを共有するフェアレディ1600のパフォーマンスも、当然、高い位置に押し上げられる。そして、フェアレディはとうとうスポーツカーファンの注目の一台になったのだ。 次いで、1967年、大幅にパワーを引き上げたフェアレディ2000が登場。日本GPでの圧倒的勝利や、FRが不利とされるモンテカルロラリーでの活躍で、世界的知名度をも高めた。