日産「フェアレディ」の歴史を振り返る。一番好きなのはZ33!?
私事になるが、、僕は当時日産レーシングスクールに通っていたが、日産は僕の専用車として、レース仕様のフェアレディ2000を用意してくれた。これは大感激だった。 僕はそれに応えて必死に練習。北野元さんや高橋国光さんも、同乗して直接教えてくれた。僕のタイムはグングン上がっていった。 それを知ったメーカーチームから契約のオファーが来たり、光栄なこともあった。でも、僕はただ、運転が上手くなりたかっただけで、レースドライバーになる気はなかった。 そんなところへ「オートスポーツ」誌から願ってもない話がきた。「レースカーの試乗記を書いてもらえないか」とのオファーだ。 僕は喜んで受けた。試乗の中心は、市販車ベースのレーシングカーだったが、時には、プロトタイプやフォーミュラ3/2、果てはCANNAMマシンまであった。 当時は、現在のようにレーシングドライバー出身のジャーナリストはいなかった。なので、僕にこうした話が来たのだが、おかげで僕は、素晴らしい、時には夢のような体験ができた。
ちなみに、市販車ベースのマシンでは、なんとか胸を張れるタイムは出せた。だが、プロトタイプやフォーミュラ マシンではまったくダメだった。練習もなしでいきなり乗ったのだから、まぁ、当然のことだろう。 でも、レース仕様のフェアレディ2000を中心に、多くの日産レーシングカーで厳しい練習を重ねた体験は、後の僕の仕事の重要な軸になったし、一生の宝物にもなった。 1969年、そのフェアレディ 2000の後継車としてデビューしたのがフェアレディZだが、両車は、外観も中身もまったく別物だった。 フェアレディ2000は軽快なオープン2シーターだったが、フェアレディZは、欧州の高級GTにも肩を並べられるような重厚なクーペスタイルを纏っていた。 軽量なモノコックボディにはストラット式4輪独立懸架が組み込まれ、エンジンは直列6気筒が積まれた。日本向けの排気量は2ℓだったが、主力市場の北米向けは2.4ℓに拡大された。 L型6気筒エンジンは、性能的にはあまり目立ったところはなかったが、実用域のトルクはあり、誰にでも扱いやすかった。