TERU生き続ける原点「生活の中から滲み出るGLAYを大事にしたい」
7月にファンクラブ発足25周年を記念したスペシャルライブ“We♡Happy Swing”第3弾を大阪・仙台・幕張の3会場で成功させたGLAY。暑い夏が終わり今月21日には60枚目のシングル「Only One,Only You」をリリースと活動する中でTERUは故郷・函館の魅力を伝える配信番組「GENTEN HAKODATE」にも参画するなど、足元をしっかり見据えつつ進んでいる。3年後にはデビュー30周年を迎えるTERUに函館での原点までさかのぼって話を聞いた。
少年時代に友達と自転車で走った函館という町
「最初は音楽にはあまり興味なかったんです。小学校から野球をやって、高校に入学したときはサッカーをしました」 遠いまなざしで少年時代を振り返る。 「函館は小さな町なので端から端まで自転車で行けるんです。友達と1時間かけて海を見に行ったり。そして春夏秋冬の四季がしっかりと感じられる町でもあります。なのでGLAYの楽曲の中でも函館をテーマに歌っている曲は多いし、そういう僕の原風景をみんなに曲を通して届けていると『実際に函館で聴いてみたい』と思ってくださる方もいて、わざわざ函館まで来て曲を聴きながら散歩する方がたくさんいらっしゃるんです」 音楽にはあまり興味がなかったというTERUだが、少年期を過ごした80年代は日本のロックシーンが盛り上がっていた時期でもある。 「中学3年生の頃に友達がBOØWY(ボウイ)にハマってカセットに録音してくれたりはしていたんですけど。パンクもLAUGHIN' NOSE(ラフィン・ノーズ)とか聴いてましたけどなかなかハマるまでは行かなかったんです」
そんなTERUが音楽漬けの人生を送るようになるきっかけは実際にバンドに参加してプレイヤーとなったことからだという。高校1年の夏、小・中学と一緒だったサッカー部の先輩に誘われて聖飢魔IIのコピーバンドにドラマーとして加わり文化祭のステージに立った。 「なぜこんなにバンドは楽しいんだろうと、自分で実体験したことで目覚めたというか。最初は先輩の『ドラムやってくれない?』って一言だけで。僕は叩き方も知りませんでしたけどとりあえず練習を始めたんですよ。そこが原点ですね。そのお陰でTAKUROから『バンドやってるんだ。一緒にバンド組もうよ』って声をかけられたんです。高校1年の、もう終わり頃の時期なんですけど」 GLAYの誕生だ。コピーバンドではなくオリジナルの楽曲しか演らないということで曲作りが始まった。 「曲を一緒に作り上げて行くことが楽しかったですね。当時、うちにドラムがあったので叩きながら。TAKUROもアンプ持ってきてギター弾きながら。あの思い出は今でもずっと気持ちの中に生きていますね」