『光る君へ』にも登場する?道長ら平安貴族の嵐山での舟遊び。「三舟の才」と称えられた公任が歌に詠んだ名古曽の滝はどこに
NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代の京都。そのゆかりの地をめぐるガイド本、『THE TALE OF GENJI AND KYOTO 日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(SUMIKO KAJIYAMA著、プレジデント社)の著者が、本には書ききれなかったエピソードや知られざる京都の魅力、『源氏物語』にまつわるあれこれを綴ります。 【写真】嵐山の公園にある「滝の音は……」の歌碑 * * * * * * * ◆道長、行成、公任が息抜きに訪れた嵐山 大河ドラマ『光る君へ』で、藤原道長(柄本佑)の側近である藤原行成(渡辺大知)の出番が増えています。 まひろ(吉高由里子)が結婚した第25回では、蔵人頭(くろうどのとう)として、一条天皇(塩野瑛久)と左大臣・道長のあいだで右往左往していた行成ですが、今後、道長の信任を得て昇進。やがては権大納言まで上りつめます。また、「書の達人」としても知られています。 第23回「『光る君へ』紀行」では、行成ゆかりの地として、石清水八幡宮や大覚寺が紹介されました。 その大覚寺のある京都・嵐山は、(第7回でもふれたように)平安貴族たちの別荘地でした。行成や道長をはじめ、貴人たちが紅葉狩りや舟遊びを楽しむ場所だったのです。 行成の日記『権記』には、道長が、行成や公任(きんとう・ドラマでは町田啓太が演じています)らと連れ立って嵐山を訪れたことが記されています。多忙な日々のなか、親しい仲間と束の間の息抜きといったところでしょうか。その際に立ち寄ったのが大覚寺だったようです。
大覚寺は、旧嵯峨御所とも呼ばれるように、平安時代初期、嵯峨天皇(平安京を開いた桓武天皇の次の天皇)の離宮として建立された「離宮嵯峨院」が、その前身です。 渡月橋あたりの喧騒から離れて嵐山の良さを堪能できる、観光客にもおすすめの場所。この界隈は、嵐山に住む私にとっては愛犬との散歩コースのひとつです。お堂のほうだけを回って、庭園には足を延ばさない参拝者も多いのですが、それではもったいない。日本最古の人工池といわれる大沢池(おおさわのいけ)を囲むように広がる風雅な庭園には、桜や紅葉をはじめ、四季折々の美しさがあります。 不思議な趣きのある石仏群(古いものは平安時代後期の作とも)、初夏に池の水面を彩る睡蓮、梅林、竹林など、見どころもたくさん。大沢池を見下ろす五大堂(本堂)でお写経をしてから、池の周り(約1km)をゆっくり散策すると、頭も心もすっきりと整うように感じます。
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