『光る君へ』にも登場する?道長ら平安貴族の嵐山での舟遊び。「三舟の才」と称えられた公任が歌に詠んだ名古曽の滝はどこに
◆公任が歌に詠んだ「名古曽の滝」 話を道長の時代に戻しましょう。 その大沢池エリアの一角に、有名な「名古曽(なこそ)の滝」の跡があります。「離宮嵯峨院」時代に設けられた滝なので、行成たちが訪ねたときには既に枯れていたのでしょう。そこで公任が詠んだのが、この歌です。 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 百人一首にも採録されているので、ご存じの方も多いはず。畳みかけるような「な」の音のリズムが心地良い、まさに“声に出して読みたい”名歌です。 滝の水の音は聞こえなくなってずいぶん経つけれど、その名声だけは、世の中に流れ伝わり、今でも聞こえているよ――そんな意味になります。 この歌が有名になったことで、この滝(滝跡)は「名古曽の滝」と呼ばれるようになったとか。そして1000年を経た今も、この歌と公任の名声は「なほ聞こえけれ」。歌を詠んだ公任も予想だにしなかったことでしょう。
◆赤染衛門の和歌では、滝は枯れていなかった!? この「名古曽の滝跡」は、庭園の隅っこの目立たない場所にあります。「大覚寺には行ったことがあるけど、滝なんてなかったですよ」という人もいるのではないでしょうか。石組みが残っているだけなので、それとは知らずに通り過ぎてしまうことも……。恥ずかしながら、私も最初は気づきませんでした。でも、これが“あの名古曽の滝”の跡だとわかってからは、その場所がまるで違って見えてくるのです。 1000年前に、公任や道長、行成が、この滝跡の前にたたずみ、公任が歌を詠んだ――そう考えるだけで、ロマンを感じませんか。昔、一所懸命に百人一首を覚えたかいがありました。 ちなみに、公任と同時代の歌人、『光る君へ』では凰稀かなめさんが演じている赤染衛門(道長の嫡妻・源倫子の女房)も、この名古曽の滝を歌に詠んでいます。 あせにける いまだにかかり 滝つ瀬の はやくぞ人は 見るべかりける 水の勢いは衰えてきたけれど、今でも岩にかかる滝の流れを、今のうちに見ておいたほうがいいですよ、といった意味なので、かろうじて滝には水が流れていたようです。 公任は「ずいぶん前に枯れた」、赤染衛門は「(そのうち枯れてしまうと思うが)今でも水は流れている」。同じ時代の同じ滝なのに「なぜ?」と思いますが、ともかく、歌心を誘う滝の景色だったことは間違いありません。 そして、恐らくは紫式部もこの大覚寺を訪れていたのではないでしょうか。なぜなら、『源氏物語』のなかで晩年の光源氏が出家生活を送った「嵯峨の院」のモデルは大覚寺だといわれているからです。
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