『光る君へ』にも登場する?道長ら平安貴族の嵐山での舟遊び。「三舟の才」と称えられた公任が歌に詠んだ名古曽の滝はどこに
◆大覚寺「観月の夕べ」で平安時代のお月見を 『光る君へ』には、まひろや道長が月を見上げて、相手に思いを馳せる場面がよく出てくるのですが、大覚寺はお月見の名所としても知られています。 嵯峨天皇が大沢池に舟を浮かべて、中秋の名月を愛でたという故事から、現在も「観月の夕べ」が開かれており、五大堂には池に張り出すように「観月台」も設けられています。 中秋の夜、大沢池に浮かべた龍頭鷁首舟(りゅうとうげきしゅせん)から、空に輝く月と水面に映る月影、その双方を眺める。平安貴族の気分になって雅な時間を過ごすことができる、京都ならではの行事です(今年の「観月の夕べ」は9月15日~17日開催)。 ところで、龍頭鷁首舟とはどんな舟か、ご存じでしょうか。「鷁」とは想像上の水鳥の名。風波に耐えてよく飛ぶことから、水難を防ぐとされているとか。つまり、龍頭鷁首舟とは、竜や鷁の頭部の像を舳先(へさき)に飾った舟のこと。その上で雅楽を奏したり、舞をさせたりして、風流を楽しむためのものだったのです。 『紫式部日記』には、道長が、新たにつくった龍頭鷁首舟を自邸の池に浮かべてみるという場面が描かれています。ひょっとすると『光る君へ』でも、今後、この龍頭鷁首舟が登場するかもしれませんね。
◆「三舟の才」と称えられた公任 舟といえば、『大鏡』に記された、こちらの逸話も有名です。 道長たちが嵐山を流れる大堰川で舟遊びをしたときのこと。和歌、漢詩、管弦の三つの舟を浮かべ、その道を得意とする人を、それぞれの舟に乗せる。そんな趣向でしたが、多才な公任は、和歌はもちろん、漢詩にも管弦にも秀でています。公任をどの舟に乗せるべきか悩んだ道長は、公任自身に「どの舟に乗りますか」とたずねます。 公任は和歌の舟を選び、「小倉山 あらしの風の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき(小倉山や嵐山から吹きおろす風が寒いので、落ちてきた紅葉の葉を、誰もが錦の衣のようにまとっていることだよ)」という見事な歌を詠み、称えられたのです。 ところが、公任本人は、「漢詩の舟に乗ればよかったなあ。それで、同じくらいの出来の漢詩をつくれば、もっと名声が上がっただろうに……」と悔しがったとか。この話から、和歌、漢詩、管弦すべてに通じていることを「三舟(さんしゅう)の才」と呼ぶようになったそうです。 「三舟の才」と称えられた公任ですが、ご本人は、あの道長に、どの舟に乗るかと聞かれた(すべてに才能があると認められた)ことを何よりの誉れと思い、有頂天になったと『大鏡』は伝えています。ドラマでは近しい関係のように描かれていますが、実際のところはどうだったのか。最高権力者である道長との関係性が垣間見えるエピソードといえるかもしれません。
【関連記事】
- 『光る君へ』で約20歳差の紫式部と結婚した宣孝。恋文を見せびらかしたせいで<大喧嘩>に…その新婚生活について
- 『光る君へ』中宮という高い地位の彰子に教養を授けた紫式部。続きが読みたくて道長が下書きを盗んだ『源氏物語』は帝への特別な贈り物だった
- 『光る君へ』を彩る平安装束を今に伝える匠の技。十二単もすべて手縫いで!中宮彰子の“お産装束”やまひろの衣装を再現した婚礼衣装も登場
- 『光る君へ』の紫式部は当時<極めて遅い>26歳前後で藤原宣孝と結婚。婚期が遅れた原因は性格や結婚観などでなく、単に…
- 『光る君へ』疫病のまひろを看病する道長に胸キュンシーン、狩衣の紐が役に立つ!女房装束姿のまひろ、貧乏だけど持ってたの?