ギャンブルばかりで借金を作る父。母は宗教に救いを求めた。15歳の頃、離婚を決めた母への手紙が、思わぬ形で見つかって
◆母の部屋で見つけたもの なんで? どうして!?私は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなに辛い思いをしないといけないの!? 怒りと悲しみの感情が爆発した。その怒りの矛先が離婚を決断した母に向いてしまった。そして、15歳で持てる最大の文章力を注いで母への手紙を書いた。 「最悪の人生。産んでなんて頼んでない! 勝手に産むなら、もっと幸せにしてよ。こんな親の元に生まれるのなら、産まれたくなかった」 どういう文字を綴ったら私のこの怒りと悲しみが過不足なく伝わるだろうか? どう書いたら効果的に母を傷つけることができるだろう。何度も推敲を重ね、したためた。 書いただけで、実際に読ませるつもりはなかった。こんなことを書いたって離婚を考え直してくれるはずもない。誰にもいいことがない。ただ、これ以上ない酷い文章を書けたことで少し心がスッキリした。 破片が20枚以上になるほどビリビリに破いて、怒りと悲しみと一緒にゴミ箱に捨てた。それで終わりのつもりだった。 しかし後日、いつものようにGUCCIの香水を黙って借りようと入った母の部屋で、その手紙を見つけた。母は破られた破片を全部集め、セロハンテープで修復して、自分を傷つけるために入念にしたためられた手紙を読んだのだ。 鏡台の引き出しの中にあるそれを見た瞬間、内臓がみぞおちあたりから全てヒュッと下に抜け落ちたように感じた。足元がぐらぐらと揺れて立っていられなかった。あれだけ傷つけたいと思っていたのに、現実にあの文章を読んだ母がどれだけ傷ついたかと想像すると、途端に後悔の大波が押し寄せた。 私はその手紙を元の場所に戻すことしかできなかった。その日以来、香水を勝手に借りるのもやめた。部屋に勝手に入ったことも、鏡台の引き出しの中に捨てたはずの手紙を見つけたことも、言えるはずがなかった。何も見なかったことにした。
◆理想の母娘の形 私は高校をやめ、美容師として働くことに決めた。決して、母のようにはならない。一人でも強く生きられる女になろうと、心に誓って働き出した。実情は「一人で強く生きられる女」とはかけ離れていたが、その時の決意は本物だった。地元の美容院で働きながら定時制の専門学校で免許を取るまでの3年間は、なるべく母と顔を合わせないように過ごした。 弱い母が嫌いだった。父なんか捨てて、好きに生きて欲しかった。それでも、母が父じゃない男の人と会っている気配がするとイライラしたし、母が家に帰ってくる音が聞こえると嬉しく思う自分にもイライラした。結局、いくら強がっても私は子どもで、壊れていく家族に対して何もできなかったことにイライラしていたのだと思う。 あれから25年。母はその後、宗教に頼るのをやめ、とてもいい人と出会って再婚し、今では中日ドラゴンズの母となって暮らしている。私も地元で結婚し、子どもを産んで母となった。母と新しいパートナーのところに、子どもを連れて遊びに行くようにもなった。決して仲が悪いわけではない。でも私と母の間には、あのときからずっと何かが挟まったままだ。 いつの日か、あの日の話をするときが来るのかもしれない。「実は捨ててあった手紙を読んだ」と言い出されたらどうやって反応しようか、何パターンも考えてある。 母から言い出されなくても「本当はあんなこと思っていない。あのとき、一番つらかったのはあなたなのに、悪いのは父なのに。支えるどころか傷つけてしまってごめんなさい」と謝った方がいいかもしれない、と思うこともある。 母も、ずっと気恥ずかしい状態のままでいるのかもしれない。人には言いづらい過去を胸にしまい、乗り越え、ようやくお互いの幸せを想い合う余裕ができてきた。こんな風にいつまでも気まずく照れくさいのは、女同士だからかもしれないし、意地っ張りで子どもっぽいところがそっくりなせいかもしれない。 友だちのように仲良く過ごす母と娘でなくても、お互いの幸せを静かに嬉しく想っているというのが、私たちなりの理想の母娘の形かもしれないと今は思っている。 母は中日ドラゴンズの記事以外、あまり文章を読んだりはしない。けれど、この本が書店に並んだら、きっと私に黙ってたくさん買って周りに配ってくれるに違いない。 ※本稿は、『褒めてくれてもいいんですよ?』(著:斉藤ナミ/hayaoki books)の一部を再編集したものです。
斉藤ナミ
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