「80歳になった時にバリバリ動ける空手家でいたい」空手家・清水希容が目指す新たな夢と日々を支える食習慣
――東京2020五輪の開催が決まり、2016年のIOC総会で東京五輪での空手競技実施が決まるなど、空手を取り巻く状況が大きく変わりました。清水さんは2015年に組織委員会の新競技プレゼンテーションで演武をされ、日本選手権初優勝、世界選手権初優勝と実力を磨きながら、空手女子形の「顔」になっていきます。当時のことを思い出していただけますか。 2015年に組織委員会で新競技のプレゼンテーションをした時の演武は、空手を生で見てもらえる場を作っていただいたことへの嬉しさや責任感を感じながら、心を込めて演武しました。 2016年に東京五輪で空手が実施されることが決まった瞬間は、みんなで日本空手連盟に集まっていたのですが、誰もが「決まったの?」という感じで高揚していたことを今も覚えています。 ――空手の「形」は目の前に本当に相手がいるように見えます。どのような練習をしてあの迫力を出すのでしょうか。 「形」は相手がいることを想定しているので、実際に当てる練習もします。組手は寸止めなので、形選手のほうが痛いと言われているんですよ。目の前に本当に敵がいるような空気感はそういうトレーニングから出るのだと思います。 ――迎えた東京五輪ではずっと競い合ってきたサンドラ・サンチェス選手(スペイン)との決勝戦でした。 結果としては私が負けたのですが、演武をした直後はお互いに勝敗はどちらに転んでもおかしくないと感じていたと思っています。あそこまで本気でぶつかり合えたのも、サンドラ選手だからだったと思いますし、五輪の舞台でそれをできたのはすごくありがたかったです。 ――無観客での開催という特殊な状況もありました。 素晴らしい決勝戦でしたから、だからこそ観客に入ってほしかったという気持ちはあります。ただ、あの緊張感のある空間のなか無観客で試合をする機会は人生で多分もうないでしょう。独特な雰囲気はあの場にいた人にしかわからないと思うので、私の財産になる経験だったと思います。