「80歳になった時にバリバリ動ける空手家でいたい」空手家・清水希容が目指す新たな夢と日々を支える食習慣
アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は空手女子形の日本代表として東京五輪に出場し、銀メダルに輝いた清水希容さんが登場。この5月に競技生活にピリオドを打った清水さんの空手への思いや今後の夢、食事について語ってもらった。 ――小学校3年生で空手を始めたとお聞きしています。きっかけは? 1つ上の兄が先に空手をやっていて、道場に見に行ったら「形」をやっている女性の先輩が何人もいました。すごく格好いいなと思ったのがきっかけです。 ――実際に初めてみていかがでしたか? 楽しかったですね。小学生の頃は習い事の一環としてやっていたので、勝ち負けではなく「形」をやることが楽しかったという感じでした。 ――中学生から全国大会で活躍するようになりましたね。 小学生の頃は全国大会の経験がなかったので、中学生になって全国大会を知り、『こんな世界があるんだ』とショックを受けました。 同年齢の子たちのレベルがすごく高くて、私はその世界を知らずに空手をやっていたのだ、というショックです。『この人たちに勝ちたい』。そう思い始めた後は、もうどっぷりと競技に入っていきましたね。 ――空手の名門校である東大阪大敬愛高校に進学したのも「勝ちたい」という思いからだったのでしょうか。 そうですね。母は「女の子らしくピアノをやってほしい」と思っているようでしたが、もう全然反対の方向に行っちゃって…(笑)ですから、東大阪大敬愛高校に行くとなった時は親を説得して、高校の3年間で結果が出なかったら空手を辞めるという約束で入学しました。 ――お母様からはどんな言葉を掛けられましたか。 母からは『先輩たちがずっと日本一をつないできているので、その道筋を絶たないようにしなさい』とも言われました。だから必死でした。 ――高校3年生だった2011年のインターハイで初優勝しました。 1、2年生の時は結果が出ずに焦っていましたが、最後の夏になんとか優勝を勝ち取れて良かったです。入学前は高校生で空手を辞めるつもりだったのですが、優勝できたことで楽しさもさらに出てきました。 ――空手の世界で勝負しようという決意を固めたのはいつ頃ですか。 インターハイで優勝する数カ月前に、第1回ジュニアナショナルチームの選考会があったのですが、当時の私の成績はそこに参加する基準に達していませんでした。 ところが、その年は東日本大震災の影響で全国選抜大会がなくなったため、ジュニアナショナルチーム選考会の出場枠が各都道府県に1つずつ与えられたのです。その時に大阪府代表で出させていただいたことがきっかけでジュニアナショナルチームの一期生になりました。まさか(全国大会で)優勝したこともない自分が引っ張ってもらえるとは思っておらず、そこで人生が変わったと思っています。