宗山塁(明大)父が語る原風景【中編】「すべてのカテゴリーで私の想像をはるかに超えて、成長していました」
「指導者、先輩、同期、後輩に恵まれて」
小学校6年時にはカープJr.でプレー。体は小さかったですが、守備は抜群にうまかった印象があります。当時は155cm。中学で一気に身長が伸びました。成長期の妨げになるので、また、故障にもつながるので、私のほうで練習する数は制限をかけていました。 野球を始めた頃から、口では「プロ野球選手になるんだ!!」とは言っていましたが、実際のところはどうなのか、半信半疑ではありました。ただ、塁はすべてのカテゴリーで私の想像をはるかに超えて、成長していました。中学校では広陵高の先輩である二岡智宏(巨人コーチ)の兄・聡さんが監督を務めていた高陽スカイバンズで、厳しい指導を受けました。私の恩師でもある中井先生(中井哲之監督)の下で男を磨いた広陵高でも、3年間で1度ぐらいは試合に出場できれば、と考えていたのが、1年夏から甲子園でプレー。「なんじゃそれは!!」と驚くしかありませんでした。 高校時代から名のある選手たちの集まりである明治大学でも、運よく、1年春からリーグ戦で出場機会をいただきました。もう、レベルが違い過ぎて、私には分からない(苦笑)。いろいろ考え、取り組んでいるんでしょう。指導者、先輩、同期、後輩に恵まれ、充実した大学生活を東京で送らせていただきました。 10月24日はドラフト会議です。かつて、三良坂町からは、プロ野球選手が誕生したことはありません。周囲の皆さんの期待が、尋常ではないんです(苦笑)。ドラフト当日は、地元でパブリックビューイングが行われるそうで、私と妻の2人が呼ばれています。良いご縁があれば、一番ですね。 (後編に続く) 文=岡本朋祐
週刊ベースボール