なぜ三木谷オーナーのヴィッセル神戸で監督交代が繰り返されるのか…三浦監督の電撃解任で11度目
現役時代にプレーした神戸へ、強化・育成を担当するスポーツダイレクターとして復帰すると発表されたのが2017年12月。スペインの至宝アンドレス・イニエスタを迎え入れた神戸の強化に携わってきたなかで、2020年9月に状況が一変した。 家庭の事情で電撃退任したドイツ出身のトルステン・フィンク監督の後任として、指導者としての経験がまったくない状況で監督就任のオファーを受諾した三浦氏は、クラブの公式ホームページ上で神戸に携わった期間をこう振り返った。 「2018年からヴィッセル神戸の改革に携わる事ができ、現場・フロント・サポーターと一緒に本気で闘えた事に心から感謝しています。ヴィッセル神戸を『とにかく強くしたい』、その想い一心で自分の出来る事を全力で頑張ってきた4年と3ヶ月。一つひとつ思入れ深い大切な時間に感謝が込み上げてきます。素晴らしいメンタリティーを持った選手達と、苦楽を共にしながら一緒に闘ってきた時間は、私にとって宝ものです」 岡山県倉敷市を拠点としていた川崎製鉄サッカー部が神戸市へ移転し、いま現在のクラブ名称に変えて新たなスタートを切ったのが1995シーズン。最初に指揮を執ったスチュアート・バクスター氏から数えて、三浦氏は延べ27人目の監督になる。 28年目を迎えた神戸の歴史で、シーズン途中の監督交代は14度目。そのうち11度が楽天グループの創業者、三木谷氏が経営権を取得した2004年以降に起こっている。 そのなかで3人以上が監督を務めたシーズンが実に4度を数え、2005シーズンと2012シーズンはJ2へ降格している。特に後者では後に日本代表監督を務める西野朗氏が5月に就任するも、シーズン終了を待たずして解任されている。 2006年には会長に就任していま現在に至る、神戸市出身の三木谷氏の体制下で繰り返されてきたシーズン途中の監督交代。その回数の突出ぶりは、同じ2004シーズン以降の期間でJ1リーグを複数回制した他のクラブのそれと比較すれば一目瞭然だ。 例えば川崎フロンターレで、シーズン途中で監督が代わったのは2008、2012シーズンの2度。鹿島アントラーズと横浜F・マリノス、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島は3度となっている。これが何を意味するのか。J1の頂点に立つチームを作る条件のひとつとして、補強だけでなく継続性が求められている証といっていい。