小川糸「自分の人生のために居場所を作る」子どもは親を選べないけれど、大事なものは譲らないで
美味しそうな食べ物が次々と登場することで人気の作家・小川糸さんの世界。最新作『小鳥とリムジン』は、天涯孤独のふたりーー介護士の小鳥が、お弁当屋を営むリムジンとの出会いによって、愛情と世界の美しさを見出してゆく物語です。前作『ライオンのおやつ』で描いた「人間は”死ねば終わり”、ではない」というテーマとひとつながりのものとして、本作が引き継いだテーマは「人が再び誕生すること」。小川さんの根底にあったのは「過酷な人生によって傷を負った個人がそのまま、悲しい涙を流して人生が終えることがあってはならない」という思いです。人間の生命力、自然治癒力を描いたその世界は、2022年に移住した長野県に「安住の地」を見つけた、小川さん自身の経験も大きく影響しているようです。 小川糸 1973年生まれ。デビュー作 『食堂かたつむり』(2008年)以来30冊以上の本を出版。作品は英語、韓国語、中国語、ベトナム語、フランス語、スペイン語、イタリア語など様々な言語に翻訳され、様々な国で出版されている。『食堂かたつむり』は、2011年にイタリアのバンカレッラ賞、2013年にフランスのウジェニー・ブラジエ賞を受賞した。またこの作品は、2010年に映画化され、2012年には『つるかめ助産院』が、2017年には『ツバキ文具店』、2020年には『ライオンのおやつ』がNHKでテレビドラマ化された。『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』そして『ライオンのおやつ』は、日本全国の書店員が主催する「本屋大賞」候補となった。
本当に大事なことだけは譲らない
『小鳥とリムジン』の主人公・小鳥は、毒親と言うべきシングルマザーの元で、父親が誰か知らずに育った少女です。この作品を書いたきっかけを、小川糸さんはこう語ります。 小川糸さん(以下、小川):最近のサイン会に、小・中学生の頃に『食堂かたつむり』などで私を知ってくださった若い読者の方が来てくださるんですが、本当に可愛いというか、命そのものの輝きを感じるんです。そういう子たちが傷つくことがあってはならないなという思いが、まず大きくひとつ。それから、虐待のニュースなどを見て「どうにかしてあげられなかったのかな」と思うこともすごくあって。読者からいただく個人的なお手紙を通じて、そうした問題で人知れず傷ついてる方が思った以上に多いことも感じます。人間は生きていると思いもよらないことでつまずいたり転んだりして、傷を負うことってあると思うんですが、そういう時に「傷つけられたら終わり」ということではなく、その先もう一度希望を見出して生きていけるというようなメッセージを届けたいなと。 作品が描くのは、幼い頃から30歳に至るまでの小鳥の日々です。家庭内で辛い経験をしてきた小鳥は、ある出来事をきっかけに、15歳で自らの意思で児童相談所に向かいます。やがて暮らし始めた児童養護施設も、決して安心できる場所ではありません。人生がやや好転するのは、施設を出た18歳の時。「あなたの父親です」と現れた男性コジマさんの依頼で、死期が近い彼の介護を引き受けることになった小鳥は、生まれて初めて自分の居場所を手に入れます。状況に飼いならされることなく、過酷な人生を生き延びる小鳥、その前を向く生命力に心が打たれます。 小川:子供は親を選べないし、自分にとって明らかに良くない親であれば、子どもの方から断ち切っていいものなのではないか。私自身はそう思っていますし、自分の人生のために自分で居場所を作っていかないと、という思いがあります。小鳥の場合は、とても幼い頃からそこを自分でなんとかしなければいけなかったし、すごく切実だったと思います。ただそれでも本当に大事なことだけは譲らない。自分から家を離れるまでには時間はかかっていますが、自分の選択と行動については絶対に後悔しない。その部分で揺らいで、結局は「ちゃんちゃん」というふうにまとめることは絶対にしたくない。そこは最初から決めていましたし、私にとっては小鳥のそういう部分がすごく魅力的だなと思いました。 「自分の居場所は自分で作る」は小川さん自身が実践していることです。2020年まではドイツのベルリンに3年間、そして帰国後の2022年からは森で暮らしています。取材したこの日は半年以上ぶりの東京で、あらゆるものの過剰さに改めて驚いたと言います。 小川:森で1年間に会う人よりも多くの人を、この数時間で目撃しました。こんなにも「モノを買え、買え」と迫られるような感じも久しぶりで。食べ物屋さんの前で誰も聞いてないのに、売り子さんが一生懸命、商品をアピールしてたり、いくつ並べたら許してもらえるのかなと思うくらい同じ看板がずっと続いてたり。こういう場所では、何かしらの鎧をまとい、“人間らしさ”みたいなものを殺さないといけないと生きてけないんだと、すごく思い出しました。ベルリンも都会ですが、自然も多かったし、そういう印象はありませんでしたね。“自分のことは自分で”という考え方の一方で、“ヘルプ”と口に出せば誰かがすっと助けてくれる、誰もがそういう反射神経をもっている感じで。日本の都会には人はたくさんいるのに、優しさとか、思いやりとか、悲しみとか、そういった“人間らしさ”のやりとりができない人が増えているように感じます。その程度のちょっとした余裕もないほど追い詰められて暮らしている、切羽詰まって働いているというか。
小川 糸