「売れても売れなくてもいい。とんねるずで歌いたい」――木梨憲武、60歳から「もっと遊ぶ」宣言
まもなく就職するという頃、石橋から『所ジョージのドバドバ大爆弾』のオーディションに誘われた。 「面白そうでしょうがないですよね。石橋貴明はもう『TVジョッキー』で3週勝ち抜いて、チャンピオンになってて。オーディション会場に入ったら、100人以上の素人たちが全員振り返って『石橋来た』みたいな。そのザワザワをよく覚えてますけど」 オーディションには受かったが、番組の賞金は逃した。木梨は自動車会社、石橋はホテルに就職。ところがまたオーディションの声が掛かり、「貴明&憲武」として『お笑いスター誕生!!』に出た。 「勝ち抜いたりしていくうちに、『もう全然こっち!』と。番組行ったらウォークマンくれた、ギターくれた、ひな人形くれた。うわあ、楽しそう。もうそこからですね」
石橋に言われた「ダセーからやめろ」
2人は会社をやめ、「とんねるず」として始動した。当時を振り返ると、ドラマのように脳裏によみがえる場面がある。 「新宿のホストクラブさんとかでネタをやってお金をいただいて、ライブの資金にしようとしていたんです。ネタが終わって帰ろうとした時、ホストの方やお姉さまたちがジャリ銭をバーンとステージに投げた。その時の、石橋さんのブチギレ方。店長が『拾って』と帰り際に言うから、俺が『すいませんね』とか言いながら拾ってたら、貴明が『憲武! ダセーからやめろ』って」 「あとはですね、全国に営業に行く時、他の芸人さんは自由席とか指定席なのに、僕らはグリーン車なんです。『グリーンじゃないと行かねえ』とか、もうその時代からそうだった。でも、指定席を見たらガラガラだったんですよね。俺は弁当も買えるから指定席にチケットを替えようと。車掌さんに声を掛けてたら、石橋貴明が『憲武! ダセーからやめろ』って。そういうことはやっぱり、プライドが許さなかったんでしょうね」
新宿御苑でネタを考えた日々も記憶に残っている。そばには石橋の勤めていたホテルがあり、新宿御苑で稽古した後、ホテルの喫茶店で石橋の先輩におごってもらった。 「お金を払おうとすると、先輩たちが『いいよ、石橋』。お金の入ってないポケットから払うふりをして、『あ、そうですか、先輩。ごちそうさまです』。それから新宿駅の、トースト食べ放題の喫茶店。バターを塗って塩をかけて、6枚ぐらい食べてたような気がします」 そういう時代も束の間、2人はすぐにお金に困らなくなった。 「『若いのにこんなにお金もらっていいの』っていうぐらいもらってた。『飲み代困んねえ』とか満足していると、『こんなところでやってる場合じゃねえんだよ、俺たちは。テレビだよ、テレビ』って石橋さんに強く言われて。『はいはい』っていうような」 「意見が違う」とは思わなかった。石橋の立てた戦略に乗り、木梨が自由に動き回る。 「『こうしよう』っていうのがどこか一緒なんで。今もたぶんそうだと思うんですけど。ライブで俺が2曲ぐらい飛ばそうとしたら、『そこじゃねえよ』って怒られたりはしましたけど。イメージ通り、きっちり行きますから。秋元康さんとかフジテレビの人とか、大人と契約して、全部動いてくれてたのが石橋貴明。僕はそこに乗っかってるだけ。『これはどう?』っていうのは全部受け入れてくれるし、『ノーノーノー』っていうのは、全くないですね」