「1浪中央大学→銀行に就職」その後医学部に受かった彼の奮起。「医学部は無理だよ…」の悔しい言葉がバネに
その甲斐もあってか、最初の全統マーク模試では50に満たなかった偏差値は、秋ごろに55くらいには到達しました。 しかし、それでは合格ラインまでは辿り着かず、帝京大学・東海大学・川崎医科大学・金沢医科大学の4校を受験し、たまたま川崎医科大学と金沢医科大学の2校の1次試験には通ったものの、2次試験の面接・小論文でどちらも落ち、2浪目が確定しました。 ■不合格からしばらく立ち直れず 「1年間全力で勉強したにもかかわらず落ちたので、しばらく立ち直れませんでした。3月は、ずっと家に引きこもってテレビばかり観ていました。
でも、そもそも私立医学部受験では、1次試験で定員よりも多く通してくれるのです。下のほうで通っても2次試験で逆転はできないので、ギリギリ1次を通っただけでは最終合格は難しかったですね」 「絶対1年で合格すると決めて、全力でやってきたのでとても悔しい思いをした」と語るMJさん。それでもなんとか立て直して、4月中旬からはまた予備校の授業に出るようになります。彼は去年落ちた理由を、「化学・物理の偏差値が40程度しかなかったこと」と考えます。
「自分の中で結果はどうあれこの年で最後の挑戦にすると決めていました。だからこそ、なんとしても受かろうと思って必死に勉強しましたね。この年は特に理科の成績を上げようと思っていました。 それでも浪人生活の中でしんどいときは、影響を受けたドラマ『ナイト・ドクター』の挿入歌である『君は生きてますか』を帰宅途中によく聞いていました。 『そうさ夜が明けるまで僕は止まらない 辿り着く場所が光でも闇でも』という歌詞の部分が好きで、どんな結果になろうとも今は全力で勉強しようという気持ちを維持することができました」
最後と決めた1年を不退転の覚悟で臨んだMJさんは、自分の中で吸収した知識がつながってきた感覚をつかみ、苦手だった理科の成績を大きく伸ばすことに成功します。 春には模試で50台後半程度だった偏差値は、ずっと予備校の自習室にこもって勉強をし続けていたこともあり、秋には4科目合計で65程度になりました。 「高校1年生のときに赤点を取って、文系に進む原因となった化学は、いちばん得意になりました。この調子で勉強を続けていけば、どこかは受かるだろうと思えました」