第159回芥川賞受賞会見(全文)高橋弘希さん「だいぶ読みやすいと思います」
受賞が決まって、どう喜んだのか?
共同通信社:共同通信社の森原です。すみません、よろしくお願いします。おめでとうございます。先ほど、待ってるときは普通に編集者ということでしたけれども、受賞が決まったという連絡を受けて率直にどうお感じになったのか、喜ばれたのか、よっしゃみたいなガッツポーズを取ったりしたのか、静かに喜んでらっしゃるのか、どんな感じでしたでしょうか。 高橋:どうだったかな。取りあえず8時までには帝国ホテルに来いと言われたので、分かりましたっていう感じで、うれしいっちゃうれしいと思うんですけど、あまりガッツポーズはなかったかなっていう感じですけどね。 共同通信社:うれしいっちゃうれしいっていう、わりとそんなに興奮はしなかった、平熱のままっていう感じですか。 高橋:いや、平熱でもないですけど。うれしいですよ、うれしいですけど、でも、なんですかね。あまり小説ってガッツポーズは出ないですよね。短距離走とかだったらいいですけど。 共同通信社:ありがとうございます。もう1つ、賞についてなんですけれども、昨年も野間新人賞をお取りになって、ご自身にとって文学賞っていうのはどういう位置にあるものなんでしょう。もちろんゴールではないと思うんですけれども、芥川賞も含めて、文学賞というのは自分の中のどういう目安になっているのか、どういうものなんでしょう。 高橋:でも、一応評価されるっていうことなんで、何かしら受賞できればそれはうれしいといえばうれしいですけど。ただ別に、なんですかね、賞が欲しくて書いている人ってたぶんいないと思うんで、結果として取れて良かったなという、そういう感じですけど。 共同通信社:すみません、作品について1問だけ。先ほど描写っていう話がありました。今回の作品は語り手の視点が傍観者的というのか、ちょっと冷静に事態の推移を眺めているようで、それが最終的にしっぺ返しも食らうわけですけれども、そういう傍観者的な描写っていうのはこれまでの作品でも結構あったと思うんですけど、そういうのを選ばれるのは、それが書きやすいとか、どういうふうにしてその描き方をチョイスされてるんでしょうか。あるいは意識してないでもいいんですけど。 高橋:別にそんなには意識してないですけど、たぶんいろいろ細かく書いていくと傍観者っぽく読めるのかなっていう。 共同通信社:意識してっていうわけではないんですか。 高橋:意識はしてないんですけど、なるべくいろいろ、主人公が見たことをいろいろ書いていくと結果としてそういう、傍観者っぽくなるっていう側面があるのかなと。 共同通信社:ありがとうございます。 司会:では。