【このニュースって何?】ホンダと日産が経営統合へ → 経営統合って何?
再編で様変わりした鉄鋼、銀行、石油元売り業界
合併や経営統合により、ひと昔前とは様変わりになっている業界を三つ紹介します。まず、鉄鋼業界です。日本で高炉を使って鉄鋼を大量生産している会社は1960年代には八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管、川崎製鉄、住友金属工業、神戸製鋼所、日新製鋼の7社がありました。再編の始まりは、68年に一部の新聞が「八幡・富士鉄合併へ」というスクープを放ったことです。当時は「鉄は国家なり」という言葉がまかり通っていた時代です。その1位と2位が合併するということで「世紀の大合併」と言われました。「市場を支配してしまう」という反対意見がわきおこる中、70年に新日本製鉄が誕生しました。 業界は21世紀に入って一気に再編が進みます。低成長時代となって国内の鉄鋼需要が減り、世界企業との競争も激しくなっていました。そのため、規模を大きくしないと生き残れないという判断が生まれたのです。2002年には川崎製鉄と日本鋼管が経営統合してJFEホールディングスとなり、12年には新日本製鉄と住友金属工業が経営統合し、新日鐵住金となりました。新日鐵住金は17年に日新製鋼を子会社にし、その後吸収合併、19年には社名を戦前に存在した日本製鉄に変えました。現在、日本で高炉を使って鉄鋼を大量生産している会社は、日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所の3社だけになりました。 銀行業界は90年代後半から00年代初めにかけて破綻(はたん)、合併、経営統合が相次ぎ、様変わりしました。大都市に本店を置いて幅広く展開している普通銀行を都市銀行といいますが、80年代末には13行ありました。ただ、その後、銀行業界には不良債権が積み上がっていきました。バブル経済時に融資したお金がバブル崩壊によって返済されなくなっていたのです。そのままでは信用不安から破綻に追い込まれる可能性がありました。実際、97年には都市銀行だった北海道拓殖銀行が破綻しました。 合併や経営統合が一気に進んだのは、その後です。00年には、富士銀行と第一勧業銀行と日本興業銀行というそうそうたる大銀行が経営統合してみずほフィナンシャルグループをつくりました。今のみずほ銀行の誕生です。三菱銀行は96年に東京銀行と合併、さらに三和銀行と東海銀行が合併したUFJ銀行と06年に合併しました。三菱UFJ銀行の誕生です。住友銀行と三井系のさくら銀行は01年に合併して、三井住友銀行となりました。このみずほ、三菱UFJ、三井住友の3行が今、メガバンクと呼ばれています。 このほか、都市銀行としては、大和銀行が、埼玉銀行と協和銀行が合併してできたあさひ銀行と合併し、りそな銀行が誕生しました。こうしてかつてあった13の都市銀行は今では四つになっています。 石油元売り業界は80年代前半には15社ありました。しかし、石油ショック以降、石油消費は頭打ちになり、数を減らさないと生き残れないという意識が出てきました。85年に昭和石油とシェル石油が合併して昭和シェル石油が誕生したのを皮切りに19年の出光興産と昭和シェル石油の経営統合まで、長期間にわたり業界再編が進みました。今では業界は出光興産、ENEOS、コスモ石油、キグナス石油、太陽石油の5社にまで減っています。 合併や経営統合により、うまくいっている会社とうまくいっていない会社があります。うまくいっている会社は、互いの足りないところを補いあい、重複しているところをカットし、規模のメリットを十分に発揮できている会社だと思います。それはもともとの組み合わせがよかったことと一緒になったあとの経営者の手腕によるものだと思います。ホンダ、日産、三菱の大統合はどちらのケースになるでしょうか。注目して見ていようと思います。
一色清 ジャーナリスト