イエメン、「幸福のアラビア」いつの日か(1) ~「忘れられた戦争」の実相を求めて~
年明け早々、米国がイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害したことで、「第3次世界大戦」の勃発もささやかれるなど、中東情勢が緊迫の度合いを増しています。そして、このイランと関係が深いとされる「フーシ派」が首都を支配する国にイエメンがあります。国内を舞台に続く戦争によって、深刻な人道危機に見舞われているにもかかわらず、国際的なニュースになることも少ないことから「忘れられた戦争」と言われることもあるようです。 しかし、イエメンの戦争は日本にまったく無関係とは言い切れない面もあります。政府は昨年末、中東海域(オマーン湾、アラビア海北部、バブ・エル・マンデブ海峡東側のアデン湾の公海)に海上自衛隊を独自派遣することを閣議決定しましたが、このうちのアデン湾はイエメンに面した海域です。米国とイランの緊張がさらに高まることになれば、イランと歩調を合わせるイエメンのフーシ派の動きが変化する可能性もあります。 かねてよりイエメン難民の取材などを続けてきた写真家の森佑一さんは昨年8月、初めてイエメンを訪れ、同国内を旅しました。中東各地で起きている様々なことは、一見すると別々に起きているようにも見えますが、実は相互に関連しているケースは少なくありません。中東情勢の緊張感が高まる今、森さんに戦時下にあるイエメンで見聞きしたことを4回にわたってルポしてもらいます。
イエメンとオマーンの国境を越えて
ぼんやりと霧がかかる海岸線の山道をひた走るオンボロタクシー。ドライバーの右には、今回の取材に協力してくれるムハンマド(仮名)が座り、身振り手振りを交えながら何やらドライバーと話している。物言いは堂々とし、はっきりとしている。何年もジャーナリストの取材協力を手がけてきただけあって非常に弁が立つ。敏腕コーディネーターといった雰囲気が、言動の端々から感じられ、頼もしい。 私はムハンマドの後ろ、後部座席の右端に座っていた。隣には、なぜか男性2人が相乗りしていて、若干狭苦しい。かつて2年にわたるヨルダン生活で覚えた日常会話レベルのアラビア語で話しかけてみると、気さくに答えてくれる。しかし、訛りが強くて、いまいち何を言っているのか聞き取れない。 年季の入ったタクシーは、トランクの閉まりが悪いようだ。凸凹した道を通るたびに、バカバカと音を立てて、開いたり閉まったりを繰り返している。何かの拍子に、自分の荷物が転げ落ちてしまうのではないかと気が気でなく、何度も後部の窓ガラス越しに後ろを振り返った。 外は霧が深く、周囲はほとんど見渡せない。そんな中でも曲がりくねった山道をタクシーは何事もないように走っていく。時折ノシノシと歩くラクダや、山道のカーブ付近の空き地でピクニックをする人々が目に入る。 しばらくタクシーに揺られていると、今まで目隠しの様にまとわりついていた霧が晴れてきた。左手には薄いエメラルドグリーンのアラビア海が広がり、波が海岸に激しく打ち寄せている。右手には緑色の葉っぱを蓄えた木々が生い茂る山々がある。 石造りの背の低い家が立ち並ぶ小さな集落にタクシーが入る。通りを歩く男性を見ると、頭には伝統的な布「シャール」が巻かれ、「マァワズ」と呼ばれる巻きスカートを身につけている。カラシニコフを担ぐ姿がさまになっている。イエメン人男性の一般的な装いだ。 ここはオマーンと国境を接するイエメン東部のマハラ州。「今まさにイエメン国内にいる。ようやく現地取材のスタート地点に立てたんだ」。イエメン難民の取材を始めて以来、いつかは実際に訪れたいと思っていただけに、感慨もひとしおだった。霧が晴れて、目の前に現れたイエメンの姿を前にすると、同乗者に興奮を悟られないようにするのが難しかった。