イエメン、「幸福のアラビア」いつの日か(1) ~「忘れられた戦争」の実相を求めて~
反政府地域、イエメン北西部を目指す
2019年8月、私はようやくイエメンに入った。目的地は、フーシ派が支配するイエメン北西部だ。 今いるマハラ州からハドラマウト州を抜け、マアリブ州へ向かう。その間は全て暫定政府が統治するエリアだ。そこを通って、暫定政府と敵対しているフーシ派が支配するエリアに入って戦争被害や避難民の暮らしを取材するという計画だ。スタート地点であるオマーンとの国境に接するマハラ州の町シェヘンから首都サナアまでの距離は約1300キロ。日本でいうと、車で日本海側を青森県から山口県まで走るくらいの距離だろうか。 「サナアに到着するのにどのくらいかかる?」。ムハンマドにたずねる。 「3~4日はかかるかな。情勢次第ではルートを迂回したり、一時的に待機する必要も出てくるから、さらに日数がかかるかもしれないな」 目的地であるフーシ派エリアに行くのに、なぜわざわざ暫定政府エリアを行くのか。まわりくどいルートを通るのには理由がある。 前述したように、イエメンはサウジ、オマーンと国境を接している。フーシ派が支配する首都サナアを中心とした北西部へ直接行くルートは、普通に考えれば、陸海空いずれのルートも一応は考えられる。 陸路の場合は、サウジから南下して国境を越える。空路であれば、サナア空港行きの便に乗る。海路だと、ジブチからイエメン北西部のホデイダ港行きのフェリーに乗る。 しかしそれはあくまで平常時の話だ。戦時下のイエメンでは、こうしたルートを使うことはできない。サウジ南部から戦闘が絶えないフーシ派が支配するイエメン北西部の国境を越える陸路はまず不可能だ。イエメン中部のセイユーン空港と南部のアデン空港を除くほとんどの空港は、サウジ連合軍によって閉鎖されている状態で、サナア空港に発着できるのは国連機だけだ。 また物流の要衝であるホデイダ港ではフーシ派と暫定政府軍との戦闘が絶えまなく続き、海上封鎖も行われていた。支援物資を載せた船でさえなかなか入れない状況に、国連主導で停戦合意が図られようとしていたが、それもうまく進んでいない状況だった。 つまり北西部へ直接向かうルートは陸海空いずれも事実上絶たれていた。安全性や費用などを考慮すると、結果的にオマーンから陸路で入国するルートしかないというわけだった。 ただ、このルートも決して楽ではない。鉄道などの公共交通機関があるわけではないので、長い距離を車で移動するだけでも大変だ。しかし、それよりも大きな問題となるのが、フーシ派と暫定政府の外国人受け入れに対する姿勢の違いだった。 目的地であるイエメン北西部を支配するフーシ派は外国人ジャーナリストを受け入れるが、観光客は受け入れない。一方、暫定政府はジャーナリストを受け入れないが、観光客は一応受け入れる。こうしたスタンスの違いはどこから生まれるのだろうか。 フーシ派は外国人ジャーナリストにサウジが行う空爆によって生じた被害を報道してもらいたいと考えている。サウジに対するプロパガンダとして利用するためだ。ただ、観光客まで受け入れるとコントロールしきれないし、フーシ派による子どもの徴兵をはじめとした戦争犯罪の情報などが知られる可能性がある。過去にイエメン北西部を取材したジャーナリストの話によると、フーシ派エリアに滞在している間は、どこに行くにも見張りの役人が同行して行動を監視されていたらしい。 一方、サウジの支援を受ける暫定政府は、外国人ジャーナリストの取材によって、サウジがフーシ派エリアで行っている空爆の被害などがより明るみに出ることを恐れていた。サウジ批判が高まり、国際社会における立場が悪くなることを危惧しているためで、ジャーナリストの入国を厳しく取り締まっている。 私自身、写真家という肩書きで活動しているが、やっていることはジャーナリストと変わりがない。もし目的がバレると逮捕され刑務所にぶち込まれかねない。 要するに、どちらも自分たちにとって都合の悪い情報が漏れることを避けたいのだ。 イエメンを旅するにあたって、ムハンマドとは入念に打ち合わせた。 「町中などで一般人と接する時はマレーシア人観光客のふりをしろ。ただ、軍の検問では、パスポートや許可証を見せないといけない場面も出てくる。その時は正直に日本人であると言うように」 「どうしてマレーシア人のふりなんだ?」 「イエメンとマレーシアは昔から交流が盛んだ。国内にマレーシア人留学生や観光客も多い。イエメン人もマレーシアによく行くし、住んでいる人も多い。マレーシア人も日本人もアジア人だから、大抵見分けがつかないだろう」 日本人であることを隠すのは誘拐対策でもある。 イエメンには、アラビア半島のアルカイダ(AQAP)やイラク・レバントのイスラム国(IS)などの過激派組織が存在する。2015年以降、戦争の激化に乗じて勢力を伸ばしていたが、アメリカ主導の過激派対策などにより弱体化し、今はアデンの東に位置するアブヤン州やシャブア州に一定の勢力を保持している程度のようだ。もちろんその近辺を通ることは避けるのだが、念には念を入れてということのようだ。ムハンマドの細かい配慮に、コーディネーターとしての腕の良さを感じた。 ただ最初は、町中で会うイエメン市民に「ミンアイナアンタ?(どこから来たの?)」と気さくに聞かれると、ヨルダン時代に何百回とやってきた癖で「ミナルヤーバーン!(日本からだよ!)」と答えそうになり、慌ててマレーシアと言い換えることもしばしばだった。 他にも、携帯電話やノートパソコン、カメラ、メモ帳など所持品の取り扱いにはかなり気を使った。中にある画像や情報から渡航目的が発覚することも考えて、パソコン内のイエメンに関するデータは事前に全て削除した。携帯電話の通話やメールの履歴もこまめに消した。メモは数字も含め全て日本語で記録し、もし読まれても解読できないように工夫した。 「無事に帰国して、現地で得た情報を世間に伝えられてこそ取材だ」。そう考えて、タクシーの中で気を引き締め直す。入国できたことに対して悦に入っている場合ではない。これからが正念場なのだ。(続く) ----------------------------- 森佑一(もり・ゆういち) 1985年香川県生まれ。2012年より写真家として活動を始め、同年5月に DAYS JAPAN フォトジャーナリスト学校主催のワークショップに参加。これまでに東日本大震災被災地、市民デモ、広島、長崎、沖縄などを撮影。現在は海外に活動の場を広げており、平和や戦争、難民をテーマに取材活動を行っている。Twitter, Facebook, Instagram: yuichimoriphoto