薬物依存症の母との40年にわたる闘い 医師のおおたわ史絵さん、苦しくても「その親しかいない」#令和の親 #令和の子
医師でコメンテーターとしても活躍するおおたわ史絵さん。著書で薬物依存症の母との40年にわたる闘いの日々を綴り、大きな反響を呼びました。母親と自身との関係がどのように人生に影響したのか、お話を伺いました。 【画像】撮り下ろし写真(おおたわ史絵さん)
母の気分に振り回される毎日
――幼い頃から、お母様の顔色をうかがって過ごすことが多かったそうですね。 おおたわ史絵さん(以下、おおたわ): 私の母は、もともと気分の浮き沈みが激しい人でした。やたらと機嫌が良い日もあれば、ずっと寝ている日、理不尽に叱られる日も……。 何をすると母の機嫌を損ねるのか、法則性がわかれば対策が立てられるけれど、それがまったくわからない。単純に母の「気分」なんです。だから「学校で使う運動靴を買いたい」程度の頼み事をするだけでも、どのタイミングで言うべきか、慎重に空気を読まなければいけませんでした。母の気分に振り回されていることに、毎日すごく疲れていましたね。 ――今でも「なぜお母さんは、あれを嫌がったのだろう」とうまく消化できない思い出はありますか? おおたわ: 本には書かなかったのですが、ときどき思い出すのは何気ないできごとです。幼稚園生の頃、私はピアノを習っていて、年に一回の発表会に出ることになりました。その発表会では、女の子はかわいいリボンやお花のついたお洋服や、きれいなドレスを着て出席することが多かった。でも私の母は、なぜか発表会にはそぐわない、シンプルなパンツスーツを買ってきて「それを着なさい」と言った。有無を言わせぬ雰囲気だったので、私は従いました。 発表会当日、ピアノの先生に「どうしてそんな服を? もっとかわいいドレスにすれば良かったのに」と言われて、ようやく「私も他の子と同じように、かわいい服を着たかった」と気づいた。それでも母には言えませんでした。 ――なぜお母様は、他の子とは異なる服を着るようにと言ったのでしょう? おおたわ: なぜでしょうね。わからないんです。当時、私は太っていてブスだったから「他の子と似た服を着せると、かわいくないのが目立ってしまう」と、母なりに心配したのかな。あるいは自分の娘が“女”になっていくのが嫌だったのかもしれません。 普段から、一度怒りに火がつくと、母は制御できなくなりました。反抗することもできず、する気も起きず、母の言いなりになるしかなかった。当時の私に、爪を噛んだり髪を抜いたりする癖があったのは、自覚はなくても苦しい気持ちの現れだったのでしょうね。