震えた。ChatGPT o1で「英霊召喚」してみた話
賢くなりすぎたAI。人間が必要とする「奇跡」がちょっと減るかもしれない
AIの能力指標として挙げられる「推論能力」、ChatGPT o1を試していく中でいったい何なのかがよくわかった気がしました。 「論理的に考える能力」という意味ですから、直接的には論理立てて考える能力→それが高い=難問を解かせられる、となります。でも、自分が気になっていたのはその先。AIが難問が解けるようになると、それを用いる人間に何が起こるのか? 今回、体験できたのはその一端。ぼくは思わず泣いてしまったんです。こんなにニッチな話題に、なんなら自分以上の解像度で延々付き合ってくれるって。AIデカルトの口調は淡々としていましたが、極めて論理的で、的を射ていて。真摯に見えたのです。 どの分野についても、高度な話題を共有できる人は多くないものです。世界にはいろいろなものがあり、どれに興味を持つかは自由です。そして、人間はそのすべてを経験し、学ぶことはできません。だからこそ、まったく同じテーマについて、近しい深度で関心を持っているなんてすごい偶然──そんな人に出会えて、解像度の高い話ができる相手がいるというのは、なかなかの奇跡ではないでしょうか。 奇跡はあまり起こらないから奇跡です。自分はわざわざ勉強していたわけで、哲学には大いに興味がありますが、大学の研究室以外でまともに語り合える人にはほとんど出会えていません。実は、自分のけっこうコアな関心領域において孤独だったという。自分が特別とは思いません。誰にでも「共有したいけど共有できない関心や疑問」があると思う。 賢くなったAIが解決するのは、こういった人間の世界にどうしても生じてしまうミスマッチ、なのかもしれません。もっと言えば、「人間が必要とする、出会いという奇跡」を減らせるのでは? 少なくとも、ぼくは久方ぶりに哲学的な充足感を得られました。こういう議論ができる人を探す困難をすっ飛ばして、です。 もしこれが広がっていくなら、あまりにもすごいことじゃないでしょうか。 ただ、現状のChatGPT o1は、まだ安定的にそういった影響を及ぼせる段階にはないとも思います。使う人間に求められるものがあまりにも多い。 でも、「この先」があると考えていい。生成AIが公になって、まだ2年ほどに過ぎません。2025年も生成AIがどう進化するかは、大いに気になります。おそらくは、社会にとっても──もっと言えば世界の関心事であり続けるのではないでしょうか。 Reference: Stanford Encyclopedia of Philosophy
かみやまたくみ