「脳をもたない生物」も眠くなるのだろうか…大学1年生が観察を続けて「見つけたこと」
私たちはなぜ眠り、起きるのか? 長い間、生物は「脳を休めるために眠る」と考えられてきたが、本当なのだろうか。 【写真】考えたことがない、「脳がなくても眠る」という衝撃の事実…! 「脳をもたない生物ヒドラも眠る」という新発見で世界を驚かせた気鋭の研究者がはなつ極上のサイエンスミステリー『睡眠の起源』では、自身の経験と睡眠の生物学史を交えながら「睡眠と意識の謎」に迫っている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです)
ヒドラが動かなくなる
怪物のような、少し変わった生き物を前にして、私はどんな研究をしようかと心を躍らせた。 小早川先生の研究室を初めて訪れた後、それまで土砂降りだった雨も止み、大学内の図書館に立ち寄ることにした。大学のサーバーを通じて、ヒドラに関する論文を調べることにしたのだ。時間を忘れ、図書館の閉館のアナウンスがあるまで論文を読み漁っていた。その週末の土曜日も日曜日も図書館に通い詰め、ヒドラについて徹底的に勉強した。受験勉強とは違って、内容がすいすい頭に入ってくるものだ。翌週になって、小早川先生に論文で読んだ内容を話すと「すると君は論文を読んで、一人で研究ができるということですね」と言われ、テーマを決めて研究を始めることになった。 それからというもの、私は大学の講義が終わると研究室へ足を運び、実験をするようになった。ヒドラを擦りつぶして細胞をバラバラにし、顕微鏡で観察をしたり、ヒドラからDNAを抽出して配列を決定したり……生物学の基本的な実験操作だが、私にとってはとても新鮮な体験だった。毎日のように夜遅くまで研究に取り組んだ。 1年生を終えた春休みには、それまで取り組んでいた研究をまとめ、論文として発表することになった。論文に必要な実験データを取得するために、毎日のように研究室に通い詰めていると、小早川先生からは「大学生は長期の休みで旅行に行ったりするけれども、君は大丈夫ですか?」と心配されていた。 春休みも終わりに近づいた、3月下旬のことである。その日も実験室で、ヒドラの世話をしていた。いつものようにヒドラに餌のアルテミアを与えていると、ふと気になることがあった。アルテミアが触手に触れると、ヒドラたちはそれを捕まえて食べはじめる。しかし、ビーカーの底で倒れるように動かなくなっていて、なかなか餌に反応しないヒドラがいた。 お腹がいっぱいなのかもしれない。最初はそう思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。しばらく経った後に同じヒドラを見てみると、餌を飲み込んで胴体をふっくらとさせている。なぜ、さっきは食べなかったのだろう。ヒドラも、ときにはぼーっとしているのかもしれない。 さては、ヒドラも眠くなることがあるのだろうか──。 ピペットを片手に持ちながら、そんなことを考えていたら、気づかないうちに異なる系統のヒドラをコンタミネーション(混入)させ、同じビーカーに入れてしまった。せっかく用意した実験用のサンプルだったのに……。 私は単純な実験作業をしていると、ついつい頭がそこから離れて妄想にふけり、気がついたときにはミスをしていることがある。そのときも、「もったいないことをしたな」と思った。でも、「ヒドラも眠くなるかもしれない」という妄想は、なかなか頭から離れなかった。
金谷 啓之