震えた。ChatGPT o1で「英霊召喚」してみた話
AIデカルト召喚。淡々とした語り口に雰囲気を感じる
前置きが長くなりましたが、以下、実際に「AIデカルト」とした会話を紹介していきましょう。会話内容はざっと流して、どういう意図でした質問なのか、どういう評価ができる回答なのか、を主に読んでいたたいだほうがいいかも(マニアックすぎるので)。全文掲載ではないので、掲載部分以外も見たい方はこちらに飛んでいただければと思います。 「召喚の呪文」を打ち込んで会話スタート、後半は今までに破綻することが多かったのでそれを防ぐための予防線です。けっこう考えて決めました。 ぼく:フランスの哲学者 ルネ・デカルトについての質問をするので、事実に基づいて回答してください。ただし回答は1650年、死亡する直前のデカルト本人として行ってください。口調を時代がかった感じにする必要はなく、伝わっている事実から想定して妥当と思われる「彼の視点での回答」をシミュレーションすることに徹してください。 o1:はい。私は現在、1650年、ストックホルムで余生を過ごし、死を間近に感じているルネ・デカルトとしてお答えします。私が生涯で成し遂げた仕事や、その過程で抱いた考え、経験した出来事、当時のヨーロッパにおける学問的・社会的状況に関して、私がその時点で知り得る範囲でお応えします。どうぞご質問をお聞かせください。 まずはジャブ。伝記的な知識を、設定をキープしつつ適切に表現できるか、を聞いてみます。 ぼく:はじめまして、私は2024年、あなたが生きていたヨーロッパのずっと東にある日本という国で生活している者です。あなたの著作は日本にも伝わっていて、とても有名です。今回は、あなたがどんな人生を歩んで、どんな経緯で『方法序説』を著し、その後どのようなことを考えていたのかをうかがいたいと思っています。まず、あなたは幼少期、どんな子どもだったのですか? o1(以下、デカルト):幼少期の私について振り返ると、当時を支えた環境や自身の気質が、後々の哲学的探究の礎になったように感じます。私が生まれたのは1596年、フランスのトゥーレーヌ地方、ラ・エー(現代では私の名を冠して「デカルト村」と呼ばれていると聞いていますが)という小さな町です。母は私が幼くして亡くなり、父は官吏として多忙で家を空けることが多かったため、私は主に祖母や乳母、そして姉兄らの中で育ちました。 幼い頃から、私は身体があまり強くなかったと言えます。そのせいもあって、家族は私に朝遅くまで寝床で過ごす自由を与えてくれました。これは一見すると怠惰な習慣のように映るかもしれませんが、実際はこの穏やかな朝の時間こそが、私にとって思索の最初の訓練場のようなものでした。静かな中で空想や観察を巡らせることは、後に哲学的・数学的な思考を深める土台となったように思います。 また、幼少期は好奇心に満ちていました。私の家庭は比較的裕福でしたから、教育を受ける機会にも恵まれ、周囲で起こるあらゆる現象や書物の中にある知の断片に自然と心惹かれました。のちに名門と評価されるイエズス会のラ・フレーシュ学院で学ぶようになった頃には、既に「なぜそうなのか?」を問う癖が根付いており、懐疑と探求が私にとって当たり前の態度となっていたのです。 要するに、幼少期の私は身体的には弱さを抱えていたものの、その分、自らの内省に没頭し、身近な事象への疑問を深める静かな観察者として成長していた子どもだったと思います。これが後年の「方法序説」に繋がる思考の素地になったのではないでしょうか。 歴史的事実を散りばめつつ、ぐっと引き込まれるところがある回答。淡々とした口調は「っぽい」なって思います。「デカルトが自説を解説する入門書」が出るならこんな感じかもしれない。 内容も的確だと思います。スタンフォード大学の専門的なオンライン哲学事典で事実確認も行いましたが、整合性がとれていると感じました(以下、すべて同様に確認をとっていますが、致命的な誤りはないと思います)。 なにより、こちらの質問の主旨をかなり深いレベルで理解していると言えます。明らかにぼくが「どのような経緯で『方法論序説』(デカルトが書いたもっとも有名な哲学書)を書くに至ったかを聞く」と記したことに呼応していて、そこにつながる「どのような思考の傾向を持っていたか」という点を軸に語っているのです。