「日本でプロレスが出来ることは毎日が夢のようだった」ザック・セイバーJr.とも闘ったイギリスの名雄が14年の選手生活を終えて日本で引退
26日、東京都・新木場1stRINGにて『666vol.146 ~小仲=ペールワンデビュー二十執念記念&ハロウィン大会~』が開催。ジャンボリー・バーブリッジが約14年間の選手生活を終えて引退した。 ジャンボリー・バーブリッジ。本名、リー・バーブリッジ。1980年6月3日生まれ、イギリス・ブランドン出身。 リーが日本のプロレスに出会ったのは名古屋の高校に留学したときのことであり、プロレスファンだった英語教師の家にホームステイした際に日本のインディープロレスを知る。24歳で法政大学に入学後、学生プロレスのイベントで偶然山田太郎と出会う。2人は親しい友人となり、何度も一緒にプロレス興行を観戦。666を知ったのもちょうどこの頃だったという。 大学卒業後にはイギリスに戻り、現地で就職。しかし、2009年に再び来日し666の練習生に。2010年7月1日に宮本裕向を相手にデビュー戦を実施。その後2試合行った後に またイギリスに戻ることになってしまう。 リーは現地でもプロレスを続け、かつては現IWGP世界ヘビー級王者のザック・セイバーJr.とシングルマッチを行ったこともあるという。 リーは帰国後には7年間イギリスの田舎町へと移り住み、おもちゃ屋としてアトリエを構えた。666でもっと試合をすることを夢見ていたが、それは不可能に思えた。しかし、2017年、666は8年ぶりに彼に渡航費を渡して日本に呼び戻した。リーはこのことに感動し、イギリスでの生活を捨てて日本に戻ることを決意。 2019年、リーは日本での生活を再スタート。その直後にコロナ禍が襲い日本のプロレス界もメチャクチャになってしまったが、それでもリーは日本に残って今日まで5年間666の一員として闘ってきた。
リーの引退試合は、大親友の山田太郎とのシングルマッチに。 互いの歴史を振り返るかのようなじっくりとしたグラウンドレスリングに始まり、リーの全力を山田がどっしりと受け止めていくような試合展開に。山田がルチャ仕込みの華麗な空中殺法で翻弄していく中、リーは自慢のパワーファイトで応戦。666参戦選手全員が続々となだれ込んできてトレイン攻撃を行うという引退試合の定番とも言えるシーンも見られた。 リーは変形スクラップバスターやラストライドといった大技で畳み掛け、必殺のジャックハマーを狙うもこれは山田が首固めで阻止。ならばとリーは雪崩式の攻撃を狙うが、これをヘッドバッドで墜落させた山田がファイヤークラッカー・プレス(※ひねりを加えたスワントーン・ボム)で3カウント。 山田が「ジャンボリー!ジャンボリー!」と観衆のコールを煽り、リーの手を高々と掲げ上げた。 リーの引退試合は終わったが、ハロウィン大会では恒例となっている全試合終了後のかぼちゃ争奪バトルロイヤルにもリーは出場。 約20年前に日本でまだハロウィン文化が定着する前にプロレス界で初めて“ハロウィン大会”という概念を持ち込んだ団体が666であり、この試合はある意味で666を象徴する試合とも言える。