95歳、入院していた認知症の父が退院、自宅に戻らず老人ホームに入る覚悟を決めた。引っ越しの手伝いに、息子が来てくれた
◆もう家に戻らないという父の決意 私は父のメモを自分の手帳に書き写しながら聞いた。 「冬靴って、雪が降ってから履くブーツのこと?」 「あぁ、そうだ。おまえが買ってくれたんじゃなかったか?」 「そうだよ。まだほかの物もありそうだから、一度家に取りに行かない?」 面談室は窓が広い。父は遠くの空を見ながらボソッと言った。 「もう住まないのだから……行かない」 終の棲家を老人ホームに決めた以上、里心がつくことはしたくない。私にはそういう決意に聞こえ、込み上げてくるものがあった。バッグからティシュを取り出して、鼻をかむふりをして目頭を押さえた。 現在67歳の私も10年か20年後には、それまでの生活と決別をする日がやってくる。元の生活を諦める辛さを乗り越え、老いを認めて毅然としている父の態度に、私は尊敬の念を抱いた。
◆引っ越しの手伝いに、私の息子が来てくれた 関東地方の都市に住む30代後半の私の長男は、「おじいちゃんの引っ越しの時に夏休みを取る」と言って、お盆には帰省せずに備えてくれていた。 息子から、休みが取れたから父の引っ越しに合わせて札幌に来ると電話がきた。私は父の家から搬出する物のリストを、息子に読み上げた。父の家のテレビは割と大きいので、息子の力で運べるかどうか心配で聞いた。 「小さな引っ越し専門の運送屋さんを頼もうか?」 「いや、それくらいの荷物なら母さんの車で、俺一人で運べる。何度か行ったり来たりすればいいだけのことだ。おじいちゃんのテレビ、2、3年前に俺が一緒に買いに行ったからサイズはわかっている。大丈夫だ」 「テレビ台も重そうだし、パソコンは画面の大きなデスクトップで、パソコンデスクは木製で嵩張るし、椅子も大きめで……」 私がぶつぶつ言っていると、息子に叱られてしまった。 「力仕事は全部俺がやるから、母さんはおじいちゃんと一緒にいてあげて」 父の初孫である私の息子は、父との絆が深い。退院前に父にその話をしたら父は昔を思い出して目を細めた。 「おまえが俺の事をパパと呼ぶから、あいつも小さい頃は俺のことをそう言っていたな。帰省した時に新千歳空港に迎えにいったら、『パパ!』と言って飛びついてきてくれて、かわいかった。何歳になったんだ?」 「今年38歳だよ」 「もうそんなになるのか……」
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