最古人類記録が変わる?新発見の化石が開けたパンドラー足跡化石の謎(下)
斬新すぎる化石記録
今回の研究論文のタイトルについて、今一度、さらってみよう。 “Possible hominin footprints from the late Miocene (c. 5.7 Ma) of Crete?” 「もしかすると(=Possible)」や「約570万年前?(=c.)?」といった言葉に注目だ。タイトルの終わりは「?(クエスチョン・マーク)」で結ばれている。 「570万年くらい前の中新世後期クレタ島のもしかすると人類系統の足跡?」 この言い方が直訳に近いだろうか。あえて研究者はあいまいな響きを持たせることで、この研究の「斬新さ」、そして足跡化石の「重要性」をアピールしているようだ。 さて、こうした発見において、周囲の化石研究者はどのように対処できるだろうか? 私はこう他人事のように切り出しているが、ここで一つ(再び)断っておきたい。個人的に私は化石に基づく人類の進化の研究は、(今のところ)まるで行ってない。そのためこのような驚愕の、または研究者泣かせのようなデータが発表されても、特にパニックも起こさず、こうしてコーヒーをすすりながら、悠長にこの記事を書いている。しかし人類進化に直接携わるその道の研究者の人にとっては、簡単にやり過ごすことのできない研究論文のはずだ。 私の化石研究を行ってきた経験から、あくまで一般論として、こうした化石記録における対処法について、あえていくつか詮索してみたい。 まず(1)この「足跡化石の正体を徹底的に検証する」ことは、(誰でも)思いつくのではないか。足跡の形や大きさを、他の方法で再調査することは可能だろう。形だけでなく歩行スピードの推測から、足跡を残したトラック・メーカーの正体が導かれるかもしれない。実は最初期の人類の系統に属するものではなく、よりチンパンジーかゴリラの系統に近い絶滅した種であった可能性はないだろうか? (この仮説の方が、時代的にはよりつじつまが合うかもしれない。) (2)特に「この時代の地層」において、似たような化石(足跡でも骨格でもかまわない)を探しまわることは重要だろう。もしかしたら他にもたくさん見つかるかもしれない。(開けてびっくり玉手箱というやつだ。)一方、何も他に見つからないかもしれない。(これはこれで興味深いが、そこにはどういう意味があるのだろうか?) (3)「南ヨーロッパ」にターゲットを絞り、重点的に化石を探し回ることも、重要なはずだ。何人かの研究者は、もうすでに調査をはじめているかもしれない。 (4)今回の研究を「あえて無視すること」も、選択の一つとして研究者はとれるはずだ。今のところ、この時代の足跡化石は一箇所から発見されただけだ。論文も一つしか発表されていない。今後、似たような発見がされる可能性が「必ずしもあるわけではない」。今回の研究において何らかのエラーが含まれている可能性もあるだろう(どの研究においても、この可能性は基本的に無視できない)。この目が出る方に賭けてみる研究者は、(あくまで私見に過ぎないが)少なからずいるかもしれない。 そして、もし今回の研究チームが導き出した二つのアイデア ── 「化石の年代」と「地理的ギャップ」 ── が正しいなら、我々はいくつかのメッセージを受け取ることができるようだ。例えば、人類は今知られているよりもかなり古い時代(=570万年前かそれ以前)に、アフリカの外へと足を向けたのかもしれない。しかし、その後の200―300万年の長い間、ヨーロッパやアジアなどにおいて、化石がほとんど見つからないのだろうか? もしかすると、今まで古生物学者が真剣に、この空白の期間のあたる地層を、真剣に探してこなかった可能性はなかっただろうか? (「灯台もと暗し」 ── 思い込みはときに我々を目くらましにさせることがあるものだ。) さて今回の研究が、果たして人類進化の探求における「パンドラの箱」を開けたのか? それともその中身は空っぽだったのか? 更なる研究の成果に期待したい。