桑田・清原のPLと名勝負を繰り広げた池田高校、新たな旋風を起こせるか
92年の夏を最後に蔦監督は勇退
そうして池田は、"ええほう"の旗を持ち帰ることになる。そういうチーム。水野らの世代は83年夏、桑田にひねられて史上初の3連覇はならなかったが、池田はその後、86年のセンバツでも優勝を果たしている。 蔦は、92年の夏を最後に監督を退いた。 今年のセンバツでの白星は、そのとき以来24年ぶりの甲子園勝利ということになる。水野が話してくれたことで印象的なのは、「高野連の人から、高校野球で人気が出るチームの条件、という話を聞いたんです。田舎で、県立で、名物監督がいて、人数が少なくて、しかも強い、これが5つの条件。池田というのは、全部それに当てはまっていたんですよね」 かつての山びこほど豪快な印象はないが、そもそも緻密さから始まったのが池田の野球である。いつかふたたび、山びこが聞こえてくる。 (文・楊 順行/スポーツライター)