「最後の入院から1年経って、欲が出てきた」/BASARA8・4後楽園で佐々木大輔とともにアイアンフィストタッグ王座に挑むKUBITOが意気込み
「19年目の初めてのワガママ」として、パートナーに同期の佐々木大輔を招へいしたKUBITO。BASARA8・4後楽園でのアイアンフィストタッグ王座に向け意気込みを聞いた。 【写真】藤田ミノルのデビュー20周年
――7・15高島平でKUBITO選手は「佐々木大輔をBASARAのリングに呼びたいと思います」と宣言。アイアンフィストタッグ王座に挑戦表明しましたが、なぜこのタイミングだったのでしょうか? KUBITO ボクが10月で19年周年目を迎える。すごい個人的な都合なんすけど、その前が14周年だったんですよ。佐藤悠己が「15周年だとできないと思うから」って言って、ねじ込んでどっかやろうぜって言ったのが14周年の大会だったんですよ。(同期)3人で集まってやったのはあそこが最後だったんですけど、節目っていうと5年区切りとか、10年区切りじゃないですか。でも14で区切ってそこからなにもないなか、もう佐藤さんもいない、SUPER CREW(スーパークルー)の一期生っていうと、ボクと佐々木さんしかいないんですよ。 ――なるほど。 KUBITO なにかをやろうってなっても、会社を越えないとやっていけないところもあるんで、自分らで興行をやっていくとなるとなかなか進めづらいから。やらないといけないタイミングを逃したら一生ない。だからやりたいと思ったタイミングで動かないとなにも話が始まらないと思ったんですよね。 ――そのタイミングが8・4後楽園だったと。挑戦表明のさい、「19年目の初めてのワガママ」とおっしゃったのも印象的でした。 KUBITO ボクはなにかをやりたい、これをこうしたいみたいな表現をするのが苦手なところもあるし、あまり自我を持たないレスラー。組まれたカードをその日ちゃんとやって帰るみたいな。昔、言われたことがあるんですけど、「いいレスラーだけど、器用貧乏だよね。プロの器用貧乏みたい」だと。それを思い出して、もうちょっとなんとか踏み出していかないとなっていうのは、この2~3年くらいで芽生えましたね。2年ちょっとくらい前か、膵臓の病気で入院したんですよ。 ――予兆はあったんですか? KUBITO 唐突にって感じでしたね。'22年の3月。その何日か前のBASARAの大会が終わって、翌朝目が覚めたら信じられないほどの筋肉痛で。それで3月20日の朝に自分で救急車を呼んで、入院することになって。ICUで2回ぐらい死にかけたんです。病名が「急性膵炎」だったんですけど、程度で言うと重度。当時、蔓延防止対策とかもあってお酒とかも飲まず、家で粛々と自炊してた時期で。そもそもが積み重ねだと思うんですけど、アルコールの飲み過ぎとか遺伝性、体質とかもあると思うんですけど、ウチの親父が亡くなった病気とまったく同じだったんですよ。そこから計4回くらい入院して、最後の入院が去年の5月に1週間ちょいくらい。1年間なんもないまま試合出れたから、このタイミングだったというのもありますね。 ――体のことも考えていまの時期でもあったということだったのですね。 KUBITO そうですね。周りに迷惑かけたくないっていうのが一番あって。カード組まれても急にまたお休みしますってなったら、迷惑かけちゃうし。自分のなかでちょっと線を引いてたというか。 ――現在、体の調子はいかがですか? KUBITO 体の調子はいいっす。スゴいいいし、なんの問題もない。佐々木さんに会ったのもこの前の新木場(7・30)、1年半ぶりくらいかな。 ――7・30新木場で藤田ミノル選手がタッグ王座戦を控えるKUBITO選手に対し、エールを送っていました。 KUBITO 藤田さんがどんな思いでそう言ってくれたかはわからないですけど、(ディック)東郷さんに会う時間とかは藤田さんは多いじゃないですか、きっと。だからそういうのもあるのかなと思います。東郷さんは自分に一番最初にプロレスを教えてくれたコーチで、そっから九州プロレス行ったりとか、そういったなかでポイント、ポイントでしか会ってないんですよ。何年か置きに会うみたいな。引退でワールドツアーするときにメキシコでボクは修行してて、そこで宿に一緒に泊まって、自分が飯番やってみたいな。たまに会っては話をする感じだったんで、藤田さんが言った「溜め込んでたもの」みたいなところでいうと、東郷さんが自分のことをそういう風に思ってるのかな?というような感じはします。ボク自身は病気のこともあるから、最高に調子いいんですよとか言うことはないですけど、藤田さんとかは一緒に試合してるなかでくみ取ってくれたのかなって気はしますね。ボク自身もあんな言葉を言われるとは思わなくて。 ――佐々木選手とはあまりタッグを組む機会がなかったとのことですが、王座戦に向けてどうでしょうか? KUBITO なんとでもなるなって思いましたね。久しぶりに会っても久しぶりに会った感じもしないし、安心感がスゴいですね。SUPER CREW時代も、同じ寮、同じ部屋で生活してた仲ですし。狭い部屋にお互い衣類とか荷物とか置くんですけど、佐々木さんはそのスペースに自分のレコードを持ち込んで、プレーヤーも置いて趣味を楽しんでました。1年ぐらい過ごしたのかな。 ――寝食をともにした同期と19年の時を経てタッグを結成し、ファンの後押しもあり、王座戦に漕ぎつけることができました。 KUBITO そうですね。それがなければカード自体決まらなかったと思います。佐々木さんに興味を持たせないと試合が成立しないと思うんで、それがカリスマたる由縁なんじゃないですか。ロックスターみたいな。ミック・ジャガーみたいな感じの。 ――そんな佐々木選手とアストロノーツに挑みます。 KUBITO だからこそやるってかんじですね、いまやらないとどんどんタイミングを逃してしまう気がしてます。(2・10高島平で)ボクとウラノさんが組んでハリマオに挑んで、そのハリマオに勝ったのがアストロノーツなわけじゃないですか。で、また行くの?って思われてもしょうがないと思うんですけど、悪あがきをしてるような感じですね。無意識なところではあると思うんですけど、それこそ世代的に言ったら自分たちの世代はみんな辞めてったりとかだと思うんで。もうちょっとだけ、もうちょっとだけってかんじですね。やり残したことないかってときに、あ、佐々木さんとタッグやってねえなって、自分が最後の入院から1年経って、もうちょっとイケんじゃないかなって欲が出てきたんで。アストロノーツっすよね、いまをときめく稀代のタッグチームですよ。 ――では最後に8・4後楽園に向けて意気込みをいただけますか? KUBITO BASARAを背負うとかそういう気持ちは一切なくて。あえてKUBITOじゃなくて、久保と佐々木を見に来てほしいですね。来年、20周年を控えてるし、ベルトを巻いて迎えられたらいいですよね。東郷さんに良い報告できたらいいなって。ユニオンMAXに挑む(ヤス・)ウラノさんにも練習見てもらったり、いろいろと面倒見てもらっていたので、ベルトを取って恩返しできたらいいなと思いますね。
週刊プロレス編集部