「体育館全体を一つの芸術作品にしたい」…。限界集落の廃校を“終の棲家”に移住、絵を描き続ける85歳彼の波乱万丈の人生
岡本太郎とも交流を持ち、数々の個展を開くなど油絵の世界では名の知られた画家となっていった。 そんな工藤さんの画家人生は、ある言葉がきっかけで一変することになる。武蔵野美術大学の名誉校長・名取堯(なとりたかし)が語った「本当にいい芸術作品は、その裏に宗教か哲学がある」というフレーズだ。 宗教か哲学。それがなければいい作品はできないのではないか。そこで工藤さんは聖書やコーランなどの聖典を読み、古今東西のさまざまな宗教・哲学を学ぶようになった。勉強を重ねていく中でとりわけ仏教に感銘を受けたことから、47歳のタイミングで日本を飛び出し、チベットやインドを放浪した末に中国にたどり着き、そこで18年間過ごすことになった。
「とにかく私は自分が納得できる絵を描きたくて、そればかり考えていました。油絵で評価はされてたんですけど、家も売って仕事も辞めて、着の身着のままで中国に渡ったんです」 旅の目的は、芸術を再発見して絵を創作すること。寝袋を背負い、河原などで寝る野宿生活をしながら、風景を眺めたり、美術館を訪問する旅路を歩み続けた。 中国・安徽省にある黄山では、水墨画の世界そのままの雄大な光景に惚れ込み、何度も黄山に登っては山頂のホテルに数カ月泊まり込んだ。ホテルでも、時には結核で入院した病室でさえも、朝から晩まで筆を握り続けた。
いかなる環境下でも自分を追い込み、常に芸術の探究に挑み続ける日々。 黄山をきっかけに描き続けた墨画は評価され、中国のメディアからたびたび取材を受けるほか、北京の中国美術館では日本人初の個展を開催するまでになった。 中国に単身渡り、気づけば18年の歳月が流れていた頃、私生活では翻訳をしてくれていた中国人女性と結婚。中国で生涯を終えることを考えていたものの、妻の助言から、90を過ぎた母の面倒を見るため日本に帰国することになった。