「体育館全体を一つの芸術作品にしたい」…。限界集落の廃校を“終の棲家”に移住、絵を描き続ける85歳彼の波乱万丈の人生
■瑞牆山の麓を人生の集大成の地に 日本に帰国した後、工藤さんは人生の集大成として臨める場所を探していた。自分が納得する絵を描き続けるために広い場所が必要だったのだ。 そして、中国で黄山の風景に惚れ込んだように、創作意欲を刺激する雄大な山を望む環境が好ましかった。 富士山が眺める富士吉田市などいくつか候補があったものの、同じ山梨県内の須玉町(現北杜市)から見える瑞牆山の風景が工藤さんの心を掴んだ。
日本百名山に選定され、日々多くの登山客が訪れる標高2230メートルの瑞牆山。黄山を彷彿とさせる花崗岩で形成された荒々しい山容に感銘と懐かしさを覚えた。 須玉町(現北杜市)の増富地区には増富中学校があったが、ちょうど2004年に廃校になったことも重なり、借り受ける形で活動の拠点とした。 妻と共に移り住み、東京に住んでいた母親を呼び寄せる。そして、4年後の2008年4月には美術館として一般公開。
■好きなことを続けられたことに感謝 客はまばらであるが、自然に囲まれた廃校という特殊な空間を独占しながらじっくり絵を眺められるのが嬉しい。 目立った宣伝はしておらず、来館者の多くは口コミ。以前は地上波テレビでも紹介されお客さんがたくさん訪れたこともあったが、新型コロナウイルスの影響で途絶えてしまったという。 85歳になった今でも、描き続ける工藤さん。足腰もしっかりしており、大きな病気もなく過ごせているのは、好きなことをやり続けられているからだという。
しかし、絵を描き続けるためには、健康だけでなくお金も必要だ。材料費がかかるほか、大きな絵となると展示するだけでも人手が必要で、人件費もかかる。 今の活動資金は年金、たまに売れる作品の売り上げ、そして1000円の入館料、この3本柱だ。お金に余裕はないものの、周りに助けられ何とか続けられてきた経験こそが、日々の活動の支えになっているという。 「今もお金はないんですけどね、やってるうちにどっかから助けが出てきてできちゃうんですよ。だからもういいや。好きなことをやり続けてやろうとね」