「体育館全体を一つの芸術作品にしたい」…。限界集落の廃校を“終の棲家”に移住、絵を描き続ける85歳彼の波乱万丈の人生
敷地内には教室や職員室がある建物以外にも、理科準備室、技術室、給食室などの建物が点在する。かつては泊まり込み業務を行う宿直の先生がいたことから、宿直室や風呂場が見られる点は、昔の学校ならでは。 ドラマやプロモーションビデオのロケ地にも選ばれるノスタルジックな雰囲気で、かつてここで子供たちが青春時代を過ごしてきた息遣いが聞こえてきそうな空間が広がっている。 工藤さんの絵画は豪快な筆さばきに加え、色使いは実に独特。展示の多くは墨画の持つ「余白の美」と西洋画の持つ豊かな色彩で感情表現を加えた「墨彩画」であり、西洋と東洋の精神を融合させた芸術作品となっている。
武田信玄やマイケル・ジャクソンなどの人物を題材にした作品は躍動感にあふれ、日本三大桜、中国の黄山などの風景を題材にした作品は、美しさに加え迫力も満載だ。 「私の場合は、下書きはせず一気に筆を動かすんです。下書きをするときれいに描くことを意識するから筆が動かなくなるんですよね。躍動感があって生きてる感じを描きたいから、筆と体を一体化させて筆先にすべてを任せる形で描いています」 工藤耀日美術館の一番の見どころは“女神館”と称される体育館だ。壁や天井全体がビッシリと絵で埋め尽くされた、想像を超える世界が広がっている。
「体育館全体を一つの芸術作品にしたい」と制作に着手。壁一面には波と女性、樹齢2000年ともいわれる山高神代桜を描いた地上界が表現され、天井には縦24メートル、横14メートルになる天界が描かれている。天界から見下ろす龍の眼差しに圧倒され、地上界を躍動する女性の表情や姿にも惹きつけられる。 体育館ではベートーヴェンやモーツァルトのクラシック音楽が流れており、荘厳な音楽も相まって、どこか不思議な世界にワープしたかのような錯覚に陥ってしまう。
着手から10年間籠もり続けて描いた、まさに工藤さんの絵の集大成である。 この工藤さんの迫力ある絵の世界観はいかにして形作られたのか、画家人生を聞かせてもらった。 ■47歳、絵の道を求めて放浪の旅へ 工藤さんは1939年、北海道の利尻島に生まれた。父親は仕立て屋をしていたという。 絵の道に目覚めたきっかけは中学生のときに教科書で見たゴッホとピカソの絵だった。20歳で武蔵野美術大学に進学して油絵を専攻。卒業後は大学の助手を務め、その後は独立して千葉にアトリエを構えながら絵の活動を行っていた。35歳で発表した油絵『私の家族』で名を上げ、この絵は第三文明展の大賞を受賞。