江戸時代に行われていた信用調査書の作成方法とは?銀行業の先駆け「三井大坂両替店」の残された史料から読み解く
◆信用調査は他でも行われていた なお、付言しておくと、大坂両替店でのみ顧客の信用情報が調査されたわけではない。京都両替店には幕末維新期の信用調査書(「聴合帳」)が一冊現存しているし、江戸両替店も顧客の信用情報を調査した形跡がみられる〈樋口知子「江戸両替店「家督控」」(『三井文庫論叢』第35号、2001年)〉。 三井以外についても、甲斐国巨摩郡荊沢村(かいのくにこまぐんばらざわむら)(現山梨県南アルプス市)の豪農市川家が、江戸の赤坂田町(あささかたまち)二丁目(現東京都港区)の家屋敷を担保に借入を希望してきた者に対し、担保となる家屋敷を入念に調査していた〈岩淵令治「地主の町屋敷経営」(港区編『港区史 第三巻 通史編 近世下』港区、2021年)〉。 このほか、大坂町奉行所や尾張藩が公金を融資するにあたり、借入希望者の身辺調査をしたことも明らかにされている〈竹内誠『寛政改革の研究』(吉川弘文館、2009年)、大塚英二『近世尾張の地域・村・百姓成立』(清文堂出版、2014年)〉。 三井に信用調査書の現物が現存していることが極めて稀有なだけで、顧客の信用情報を調査すること自体は全国的にみられたはずだ。 ※本稿は、『三井大坂両替店――銀行業の先駆け、その技術と挑戦』(中公新書)の一部を再編集したものです
萬代悠